初めて牛肉を食べた時 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

 

「 武士の娘 」

杉本鉞子(すぎもと えつこ)/訳者・大岩美代(おおいわ みよ)

株式会社 筑摩書房 1994年1月発行・より

 

 

 

 初めて私が牛肉というものを口に致しましたのは、八歳の頃でございました。 (著者は明治6年生まれ・人差し指)

殺生を禁ずる仏教が伝わってから一千二百年間というものは、日本人は獣の肉はいただきませんでした。

 

 

でも近頃では、信仰も習慣もずいぶんと変わりまして、どこの料理屋でも旅館でも、お肉を出すようになりました。

ところが、私の幼い頃には、牛肉といえば いみきらわれたものでございました。

 

 今でもよく憶えておりますが、ある日、私が学校から帰って参りますと、

家中の者がみな心配そうな顔をしておりました。

玄関に入りますと、すぐに、何か重苦しい空気が感ぜられました。

 

 

母が女中になにか申しつけている声も低く、調子もぎこちなく、唯ならぬ気配でございました。

廊下に立っていた召使いたちも皆、小声でささやき合ってあります。

 

 

まだ家族の誰にも挨拶をしておりませんでしたので、訊いてみるわけにもゆきませんでしたが、何か まがごと のあることの不安が感ぜられました。

 

廊下づたいに祖母の部屋へまいりますのに、静かに歩こうとしても、仲々に心が落着けませんでした。

 

 

 畳に手をついて、小さな声で 「お祖母さま、ただいま帰りました」 と、

いつものように挨拶いたしました。

 

祖母は、それに応えて、やさしく微笑しましたが、いつになく厳しい顔つきでした。

祖母と女中は金と黒漆とで塗られたお仏壇の前に坐りました。

 

 

傍には障子紙を載せた大きなお盆があり、女中はお仏壇の扉にめばりをしているところでございました。

 

日本の家庭の常として、私の家にも仏壇と神棚とがお祀りしてありました。

 

 

家の内に、病気とか、不幸がありますと、穢(けが)れを忌む意味から、神棚はすっかりめばりをするのでございました。

 

 

けれども、お仏壇はこんな時には、扉はすっかりあけひろげられてありました。

これはお釈迦様が悲しむ者をお慰め下さり、極楽へ旅立つ死人を案内して下さると信じていたからでございます。

 

 

私はこれまで、お仏壇にめばりをするのをみたことがありませんせしたし、時刻も丁度、夕方のお燈明を上げる頃(ママ)いでありましたから、不審に思ったのでした。

 

 

いつもこのお燈明の時刻は、一日の中でも楽しい時でございました。と申しますのは、でき上がった夕げのご馳走を先ずもりわけ、小さいお膳にのせてお仏壇にお供えし、それから家中(いえじゅう)のものが銘々に箱膳の前に坐り、ご先祖様もご一緒に居合わせて下さるのだと思いながら、話合い、笑いかわして食事をする慣わしだったからでございました。

 

 

それですのにお仏壇にめばりをしてしまうというのですから、不思議でたまらず、恐る恐る声をふるわせながら尋ねました。

 

 「お祖母さま、どなたか、どなたかお亡くなりになりそうなのでございますか」

祖母は半ばおかしそうな、半ばびっくりしたような顔をいたし、

「エツ坊や、そんなに思い切ったもののいいかたは、まるで男のようではありませんか。女の子というものは、そんな不作法な口の利き方をしてはいけません」 と申しましたので、私は、

 

 「相済みませんですた」 とは申しましたものの、やはり気になりますので、もう一度

「でも、お仏壇に めばりがしてあるではございませんか」 と尋ねました。

 

 

 祖母は 「そうですよ」 と溜息まじりに申したきり、後は黙ってしまいました。

 私も黙って女中に紙をほぐしてやられる祖母の曲がった背の辺をみつめたまま、坐ってありました。幼な心にも心配でたまらなかったのでございます。

 

 やがて祖母は腰をのばして、私の方にふりむき、ゆっくりとした口調で、「お父様が家中で牛肉を食べようとおっしゃったのでね。

何でも、異国風の医学を勉強なされたお医者さまが、お肉を頂けば、お父さまのお身体も強くなり、お前たちも異人さんのように、丈夫な賢い子になれるとおっしゃったそうでね。もうじき牛肉が届くという事ですから、仏様を穢してはもったいないと、こうしてめばりをしているわけなのです」 

と申しました。

 

 

 その夜、私達一家は、肉の入った汁をそえた、ものものしい夕食を頂きましたが、お仏壇の扉はすっかり閉ざされており、ご先祖様とご一緒でなかったことは、ものさびしゅうございました。

 

 

いつも上座につかれる祖母も見えず、歯の抜けたような空席が、奇妙な感じでございました。

 

 

その後、私は祖母に、何故、みんなと一緒に召上がらなかったのですかと尋ねますと、

「異人さんのように強くなりたくもなし、賢くなりたくもありません。ご先祖様方が召上がった通りのものを頂くのが祖母(ばば)には一番よろしいがの」

と、悲しそうに申しました。

 

 

 姉と私は二人で、そっとお肉の美味しかったことを話し合いましたが、他の誰にもこんなことは申しませんでした。

 

 

二人とも、幼いながらも、大事なお祖母さまの心にそむくことはいけないことだと思っていたのでございましょう。

 

 

 

 

 

 

 

4月5日 和光市内(埼玉)にて撮影