砂漠の民は「海が怖い」 | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

「 山本七平全対話 2 おしゃべり聖書学 山本七平他 」

山本七平 (やまもと しちへい 1921~1991)

株式会社学習研究社 1985年1月発行・より

 

            聖書を生み出した風土         森本哲郎

            1977 『日本人と聖書』(ティビーエス・ブリタニカ刊)

 

 

 

<森本>      ところで、ヘブライ人の場合、つまりヘブライ史

            で言うと、南北構造はどういうことになるのですか。

 

 

<山本>      それはいろいろな説があるのですが、

            極端な説をとる人は、実質的にフェニキアの経済的支

            配下だったんじゃないだろうかというのです。

 

 

ソロモンの最盛期でもテュロスの技術援助その他を受けているわけですね、神殿をつくるときも、船をつくるときも。

 

また分裂後は北に王はフェニキアとの通婚政策をとっています。

 

 

フェニキアは、香料の道つまり紅海への出口と、そのルートを守るためにいろいろな方法であそこを間接的に影響力を行使したのでしょう。

 

 

だから、実際的にフェニキアの勢力下じゃなかったかという考え方をする人もあるわけです。

 

と同時に、セム族は海に無関心、これが非常に不思議なんです。

 

 

<森本>     ええ、実に不思議ですね。

 

 

<山本>     彼らはどんなに栄えた時代でも、地中海に積極的に出て

           海上勢力を樹立しようという意思がないのです。

 

 

<森本>     まあ、そこにはフェニキア人がいたからということもありま

           しょうね。しかし、それにしても不思議だと思いますよ。

 

 

<山本>     ヤは海を喜ばないということがありまして、

           神様は海が嫌いらしいのです。

           あれは砂漠の神であって、海の神じゃないのですね。

 

 

<森本>     たしか 『エレミヤ書』 のなかにこういうものもありました

           ね。水はこの城を越えない、水は砂を越えないという表

           現ですね。

 

 

<山本>     あります。

 

<森本>     砂と水の間には画然とした区別がある。

           砂が海をくいとめているという感じですね。

 

 

<山本>     商船隊が紅海から南へ行ったという記録があるにはある

           し、貿易をやったという記録もあるのですけど、

           フェニキアのような海洋国家にはなっていかない。

 

 

<森本>     彼らが海へ出ていかなかったのは、おそらく砂が海のか

           わりをしたんじゃないかと思うのです。

 

つまり、砂漠は”砂の海”で、彼らはそっちの”海”へ乗り出していった。

 

 

<山本>     なるほど。

 

<森本>     砂漠っていうのは”陸の海”なんですよ、あれは。

 

<山本>     海なんですね。

 

<森本>     ただ魚がいないというだけで・・・・・。

 

<山本>     オアシスというのは島なわけですね。

 

 

<森本>     ええ、まさしく”島”ですし、セム族がなぜ地中海とあまり

           関係をしなかったかについて、前に考えたことがあるんですが、結局、砂漠が海のかわりをしたのではないか、という以外に考えられませんでした。

 

 

<山本>     それで、いつも海のほう、というのは地中海の海岸線に

           沿った方から侵略を受けていながら海へ出ていく気がな

           いのです。

 

 

<森本>     地中海はフェニキア、その後ギリシャに握られてしまうん

           ですね。

 

 

<山本>     そういうふうに海に出ていかないという体質みたいなも

           のは風土ですかな、そうすると。

 

 

<森本>     モーセがファラオの軍に追われ、神の加護によって紅海

           を渡る有名なくだりがありますね。

 

 

神が水を分けてそこを陸地にし、モーセたちが渡り終わると神は再びそこを水で閉じて、そのためファラオの軍隊がみな水に溺れてしまうというくだりです。

 

つまり、水というものは非常に恐ろしいものだったということでしょうね。

 

 

<山本>     われわれが、砂漠というものがわからないというのと

           同じように・・・・・。

 

 

<森本>     向こうでは海というものがわからない。

           恐ろしいものだという感じじゃないですか。

 

 

エジプトはナイルのたまものであって、水というものが氾濫して沃土をもたらす。ところがチグリス・ユーフラテスはナイルと違って洪水が災害をもたらす。

 

ノアの洪水がそうです。ですから、水はこわいもの、そういうことがやっぱりあるんじゃないですか。

 

 

<山本>     ほんとうにこわい。

 

 

<森本>     ぼくらにとっては海より砂漠のほうが不気味ですが、

           彼らにすると砂漠は平気だけど海を小舟で漂流なんかするといったら恐怖そのものなんじゃないでしょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

4月9日 多摩森林科学園(東京・八王子)にて撮影

新宿を真っ直ぐ西の方へ行くと関東平野が終って山脈にぶつかります。

そのあたりに「国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所多摩森林科学園」 というのがあります。何をやっている所なのか私は知りませんし、興味もない。知っているのはそこに桜の保存林があるという事だけです (入園料大人300円・四月だけは400円)。

中には日本各地の様々な桜が植えてあり約600ライン収集されている、とパンフレットに書いてあります(ラインとは何のことだろう?)。

そこは大げさに言えば山あり谷あり、という所ですから、登山のような恰好で来ている人もいます。驚いたのは私と同年配かそれより年上の人が多かったことです。日本の老人達は凄い!