ヒットラーとスターリンの粛正を比較 | 人差し指のブログ

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「政治無知が日本を滅ぼす」

小室直樹 (こむろ なおき 1932~2010)

株式会社ビジネス社 2012年1月発行・より

 

 

 

  スターリンとヒットラー。よく対比される二十世紀独裁者の代表であるが、大いに異なる点の一つは、「粛正(しゅくせい)」 である。

 

 

 スターリンと言えば、誰しも先ず連想するのが”粛正”である。

 

 

 レーニンに次ぐロシア革命の大立者トロッキーを初め粛正に次ぐ粛正。

粛正と言えばスターリン。  スターリンと言えば粛正。

 

 

全く卸問屋(おろしどんや)と言うか本家本元(ほんけほんもと)と言うか、

粛正を語る事なしに、スターリンは語れない。

 

(完全な証拠こそないとは言うものの、スターリンは、此のトロッキーを、亡命先のメキシコに刺客を指し向けて暗殺したとは、衆目の見る所である)。

(略)

 

 

 極論すれば、少しでも目立つ共産党員は、片っ端からスターリンに殺されて行ったと言ってよい。

 

 

 特にソ連にとって致命的であったのは、1937年の軍部大粛正だ。

 

 ドイツと通謀していたと言う容疑でトハチェフスキー元帥をトップとする、

ラバロ協定によりドイツ軍から近代戦の手解(てほど)きを受けたソ連軍の最優秀将校を片っ端から銃殺した。

 

 

 其の結果、ソ連軍はすっかり弱体化し、フィンランド戦争に於いては、

醜態を全世界の前に晒(さら)す事となり、独ソ戦前半に於いては、

(ほとん)ど、抵抗らしい抵抗が出来ず、疾風の前の枯葉の如く、

ドイツ軍に蹴散らされてしまう事になる。

 

(略)

  

 是れに対し、ヒットラーは、殆(ほとん)ど粛正をしなかった。

 

 

また、其の僅(わず)かな粛正に於(お)いてすら、失った所のものは、全く、

(ある)いは、殆どなかったと言って良い。

 

 

 スターリンの同僚達の殆どは、次々と姿を消して行ったが、ヒットラーの場合、彼の”戦友””同志”と呼ばれる人物で、直接手を下して彼に殺された者と言えば、突撃隊長エルンスト・レーム大尉。 其れだけしかいない。

 

軍人に至っては、一人もいなかったのであった。

 

 

 

ゲーリングの如き、其の晩年に於ける、余りにも余る汚職故に、また、無敵と言われたゲーリングの空軍がすっかり凋落ちょうらく)しまった故に、

(いた)くヒットラーの勘気(かんき)を買い「腐肉(ふにく)」とまで罵(ののし)られたのであったが、粛正されるどころか、敗戦直前、総統の地位を簒奪(さんだつ)して自立し、勝手に英米軍との和平を試みようとするまで、罷免される事さえなかった。

 

 

 ヒットラーと将軍達の間の確執(かくしつ)は史上に名高いところである。

 

 

ヒットラー自身、余りの事に、「私が、度々(たびたび)病気をするのは、将軍達が原因だ」 と言った程であったが、彼に殺された将軍は一人もいない。

 

 

 戦争中、よく、ヒットラーに反対した廉(かど)で総統自から将軍を射殺したという噂が立った。

 

スペイン人の記者(フランコのスペイン。中立国ながら親独的)が、此の噂の真偽の程を彼に問い質(ただ)したところ、答えは、「そんな事は、今まで、一度もない。だが、そうかと言って、総統が任意に将軍を射殺したはならないと言う法もない」 と言うのであった。

 

 

 此の様に、威嚇(いかく)こそすれ、本当に射殺した事は一度もない。

 

 此の点、何かと言うと直(す)ぐ、人を銃殺するスターリンとは違うわけだ。

 

 勿論(もちろん)、総統暗殺の陰謀に加担した場合、其れは別だ。

 

 

スターリン流の”粛正”とは、全く別の範疇(はんちゅう)に属する事で、

何処(どこ)の国でも立派に、普通の刑事犯になる。

 

 

 

 

3月31日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影