「日本人と中国人 なぜ、あの国とまともに付き合えないのか」
イザヤ・ベンダサン/著 山本七平/訳
祥伝社 2016年11月発行・より
倭寇は本質的には商人で、いわば私貿易業者というべきものであったろう。
というのは、中国側が自由貿易を認めれば自然に消滅するからである。
例をあげると、明の洪武帝(こうぶてい)が市舶司(しはくし)を置いて、
日明交易場を浙江(せっこう)に設けて政府監督下に自由貿易を許すと、
倭寇は静かになってしまう。
彼は日本と断交したわけだが、「政経分離」 でこの市舶司は黙認しておいたので、大体海上は平和であった。
ところが廃止すると、とたんに大倭寇が発生するのである。
では、「政経分離」 で自由貿易を許可しておけばよいではないか、
なぜ、中国側は自由貿易を禁ずるのか、日本側は自由放任だから、中国側も自由放任にすればよいではないか、と考えたくなるが、そうはいかない理由が中国側にあった。
(略)
それは日本側の輸出品である。
確かに硫黄(いおう)・漆器(しっき)・屏風(びょうぶ)などもあったが、輸出の主力商品は武器、すなわち刀・槍(やり)・鎧(よろい)と、おそらく鏃(やじり)であって、その中の主力が何と日本刀なのである。
この日本刀がどれだけ輸出されたか明らかでないが、
1451年から1500年までの約半世紀間、記録に残るものの総計だけで何と約9万1千本になる。
ところが、数をごまかして余計に中国に持ち込んだという記録が別にあるから、記録に残ったものだけと仮定しても、この何割増しかである。
もちろん記録は多く消滅しているであろうし、一方、密貿易ははじめから記録がない。
こうなると一体全体この半世紀だけで、日本が中国に売り込んだ日本刀が総計どれだけになるか、ちょっと想像がつかない。
日本は人類史上最大の刀剣輸出国かもしれない。
常識で考えればだれでもわかることだが、当時であれ今であれ、いかに自由貿易を原則とする国でも、何十万本という武器を自国に自由に持ち込んで販売してよろしいという国はない。
これは貿易とは別の問題である。
そういうものを中国に持ち込んで勝手に売られてはこまる、と中国側がいうのは当然なのだが、さて日本側はというと、前記以外に輸出可能の商品がない。
一方、日本側の輸入品は、まず薬種・薬草・生糸・絹・綿・綿糸・綿布等から磁器・書画であって、自由に輸入して少しも支障のないもの、しかも当時の生活水準の向上から、輸入しうる限り輸入したいものばかりなのである。
簡単にいえば、武器を輸出して民需品を輸入するという貿易形態だから、日本側は自由貿易を主張し、中国側は政府間貿易に固執するという形にならざるを得ない。
従って、この間の問題に関する限り、中国側の主張が正当であって、日本側の主張には無理がある。
武器輸出は、いずれの国、いずれの時代であれ、自由貿易の対象とはなりえない。
といって貿易を禁ずれば、相手はたちまち海賊に早がわりする。
といって貿易を許せば、何しろ貿易の輸出品は日本刀しかないも同様だから、ずんずんと民間や地方豪族の手許(てもと)に武器が流れ込んでしまう。
倭寇といってもその主体は中国人である、ということは多くの資料が証明しているが、彼らの持つ武器がメイド・イン・ジャパンであったことは想像にかたくない。
従って、倭寇にとっては、武器を売って民需品を購入してもいいし、武器を沿岸中国人に与え、その代わりに民需品を掠奪(りゃくだつ)させて、それを日本に持ち帰ってもいいわけだから、貿易を許可すれば途端に倭寇は静まる。
しかしそれでは、武器の中国への自由流入を認めることになってしまう。
中国の側から見れば、当時の日本とはまことに始末の悪い対象であって、中国にとって、おそらくはじめて経験した奇妙な状態であったろう。
3月31日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影