文学に恋愛がある日本・無い中国 その2 | 人差し指のブログ

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「ゴシップ的日本語論」

丸谷才一(まるや さいいち 1925~2012)

株式会社文藝春秋 2007年10月発行・より

 

 

 

 

 ただ、西洋文学は恋愛を肯定してゐるといふ事情がありました、このことが、日本文学の研究者たちを無茶苦茶に喜ばせたのです。

 

 

といふのは、日本文学の研究者たちは国学者の流れをくむ人たちだつたわけですけれども、本居宣長なんかが典型的にさうであるやうに、国学者たちは、中国の学問や文学が、儒教思想のせいで恋愛を認めない、

恋愛に対して否定的であるといふことに困り果ててゐたんです。

 

 

中国の文学の考へ方でゆけば、たとへば、『源氏物語』 はみだらなことを奨励する文学作品であるといふことになるし、『古今』 や 『新古今』 の恋愛は、猥褻わいせつ)なことを賞賛して大いにおこなへとすすめる文学といふことになる。

 

 

中国文学の考へ方から言ふと、これは非常に品のない、けがわらしい文学ですね。

 

 

国学者たちが知つてゐる先進国の文学は中国文学しかなかつたわけですから、大弱りに弱つてゐた、といふのが江戸後期の国学者たちの立場でした。

 

 

彼らは外国の先進国の文学と自国の文学とのいはばダブル・スタンダードに悩んでゐたんです。

 

 

 ところが、明治維新になつて、西洋から西洋文学がやつて来た。

それはご承知のやうに、恋愛といふものを全面的に肯定する文学でありました。

 

 

恋愛はいけないなんてちつとも書いてない。

第一級の文学がみな恋愛を扱ふ、賛美する。

 

それで、日本文学の研究者たちは、非常に安心して、ほつと安堵の息をついた。

 

 

それで、西洋文学に寄りすがつた。

 

それはいいけれど、そのときに、実は彼らは西洋文学のなかでも、十九世紀西洋文学といふ写実主義の時代の文学に寄りすがつてゐるんだといふことはわからなかつた。

 

 

 いいですか。ここのところは、話が厄介なことになるんですが、西洋文学の恋愛肯定のせいで、当時の日本文学研究者たちは十九世紀西洋文学を全面的に信じてしまつた。

 

 

十九世紀西洋文学の研究法といふ物差しによつて、日本文学を測らうとしたのです。

西洋文学の歴史を分析的にとらへるなんてこと、とてもできなかつた。

 

 

 

 

「その1」 は前日です (人差し指)

 

 

光が丘公園(東京・練馬)にて 3月31日撮影