「開高健の文学論」
開高健 (かいこう たけし 1930~1989)
中央公論新社 2010月年6月発行・より
私は野ネズミの繁殖のことを作品にして世に出ることができたが、
そのいわゆるネズミの作品で悩まされたことが一つある。
つまり法律用語でいうと、”善意無過失の競合”という場合である。
私はその作品のヒントを、たしか、朝日新聞の科学読物の欄で得た。
そこに野ネズミの生態のことがでていたのである。
読んでから一ヶ月か二ヶ月ほどして、ある日なにげなく思いだし、
丸善へいって農林学者の書いた研究書を一冊買ってきた。
それを参考に会社から夜遅く帰ってきては毎日少しずつ書きためた。
発表のあてはどこにもなくて、八分までは自分の楽しみのためという気持ちだった。
これが、ある日たまたま安部公房に町で出会って話をしているうちに彼もまたまったく同じ新聞記事にそそのかされて一作をモノにしようと企んでいるのを発見するに及んで、すっかり憂鬱になってしまった。
私は何食わぬ顔で雑談をつづけ、安部公房が、書かぬまえから悦に入って、
「あれはオレが書くんだ。イヤ、あれはオレのもんだよ。ウン、それは、もう、きまってるんだ、ハッキリとな」
目を細くしてエッ、ヘッ、ヘと笑ってる顔がノミのように憎かった。
私は蒼くなって家へとんで帰り、机にしがみついた。
結果としては私はどうにかこうにか安部公房を一馬身の差で抜くことができたが、もしあのとき彼が不用意に口をすべらさなかったらどうなっていたことか、これはあまり考えたくないことである。
さらにもう一つここに妙なのは、机のうえで私が小説を書いてから二年たった今年の春、北海道の森林地区でまったくおなじ設定の事件が現実に発生し、百二十年ぶりにササがみのってネズミがわき、一億から二億にのぼる森林が壊滅して役人たちはイタチを放すやら毒ダンゴをまくやらの大騒動を演じたことであった。
調べてみると、なにからなにまでがまったくピタリと一致していた。
私は興奮し。『罪と罰』 のドストエフスキーの挿話を思いだし、現実が藝術を模倣するというスローガンを日に十度つぶやき、あちらこちらに電話をかけた。が、みんな”ノーシン”ボケてしまったのか誰もまともに聞こうとするものがなかった。
しょうことなく私はひとりで、肝臓をいためていたからお酒のかわりにカルピスを飲んで乾杯したのである。
報酬はそれだけだった。
( 『文学界』 一三巻一二号 昭和三四年一二月一日)