明治の皇室の神仏分離 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「山本七平全対話  日本学入門 山本七平他 」

山本七平(やまもと しちへい 1921~1991)

株式会社学習研究社 1984年11月発行・より

 

         世界は原点回帰に向う  田中清玄  1980.5 「正論」

 

 

 

山本     明治元年に 「神仏判然の令」 というのが出ています。

        これを読むとそれ以前のことが逆によく分かるんです。

 

 

        仏像が神社の神体だったり、坊主が神主だったりね。

 

        それまではそれが何の不思議もない当り前のことだった。

 

 

田中     それは明治維新の改革ですね。

        革命と呼んでいいくらいの・・・・。

 

 

        そういう人為的な荒っぽい宗教改革が、あとに尾をひいて、

        二・二十六の反乱になり、ナチと青年将校の迎合になっていく

        原点じゃないですかね。

 

 

山本     その辺、あるかもしれませんね。

 

 

田中     ですから宮中からも、天智天皇からの位牌、御遺髪まで泉涌

        寺に移した。

        神仏分離で・・・・。

 

 

山本    宮中に黒戸の間という仏間があって各代の法位牌が祀られて

       いたのを、全部泉涌寺に返した。

 

 

       つまりそれまでは、朝廷も神仏同居だったのが、「神仏判然の

       令」 で神道一本にすると決めた。

 

 

       泉涌寺への返却はたしか明治四年です。

       だから天皇家は泉涌寺の檀家なんです。

 

 

 

田中    一体元凶は誰なんです?

 

       平田篤胤の思想を受け、そして水戸学派あたりが影響を与え

       たんですかね。

 

 

山本    崎門学とその二つ、それ以外にもあるでしょうが、

       いずれも非日本的ですね。

 

 

田中    それでこの間、浩宮様がご成年式をなされて、伊勢皇大神宮

       へ参拝されましたが、京都の泉涌寺へも先祖の御位牌の参詣

       に行ってらっしゃるんですね。初めてじゃないですか。

 

 

山本    初めてでしょうね。

 

 

田中    これ非常にいいと思うんですよ。

 

 

       うちの家内にどう思うって聞いたら、浩宮様は日本歴史を御勉

       強なさっているから、ご自分で発想なさったんじゃないかといっ

       てました。

 

 

       これは入江侍従さんとか、ああいう方に聞いてみたいくらいで

       すが、私はとてもいいことだと思う。

 

 

       本来の日本のあり方に皇室が戻ってきたという希望がもてる。

 

 

                                          

 

 

 

 

3月17日に 「明治天皇の身長は何センチ」 と題して ドナルド・キーンの文章を紹介しました。 コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12360135912.html

 

 

 

5月22日に 『明治天皇の 「好きな人・嫌いな人」 』 と題して 

ドナルド・キーンの文章を紹介しました。 コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12361218915.html

 

 

 

 

朝霞(埼玉)の花火大会 8月4日 中央公園にて撮影