日本とモンゴルの朝鮮支配 | 人差し指のブログ

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「悲韓論」

黄文雄 (こう ぶんゆう 1938~)

株式会社徳間書店 2014年7月発行・より

 

 

 

 ところで、蒙帝100年における高麗朝との関係と、日帝36年における近代朝鮮との関係は類似するところがじつに多い。

 

 

モンゴル人の大元の時代は、人類史のなかでは、近代に匹敵する世俗化した時代であったとともに、衣食住の生活も変化した時代だった。

 

 

 実際、大元帝国の統治下の高麗は、半島史上もっともよき時代の一つとも数えられている。

 

高麗人は競ってモンゴル姓を名乗り、服装などもモンゴル風に染まっていった。

 

大元帝国の高麗統治は、高麗文化のモンゴル化の時代でもあった。

 

 

 

極端に中華風になったのは李朝の500年である。

 

 蒙帝100年のモンゴル化と日帝36年の近代化は、創氏改名や皇民化(天皇への忠誠を要求する政策)をはじめ、とても良く似ている。

 

 

 創氏改名については、現在の韓国人は 「名前を奪った」 というが、そもそも当時、世界の列強と肩を並べた日本に憧れ、日本人の名前を欲しがったのは朝鮮人であった。

 

 

それはモンゴル帝国時代とよく似ている。

 

 

 しかも創氏改名は台湾では許可制であり、認められないことも多かったのに対して、朝鮮においては届け出制であった。

 

 

今の韓国人が非難しているような強制ではなかったのだ。

 

 

その証拠に、陸軍中将まで登りつめた洪思翊(ホンサイク)や、衆議院議員に当選した朴春琴(パクチュンガム)など、朝鮮名をそのまま名乗り続けた者もいたのである。

 

 

 さらに言えば、日帝36年においては、復古主義の儒教による原始社会への回帰を食いとめ、万民法を原理として、法治国家の確立を目指す努力が行われ、半島の再生と転生が成し遂げられたのである。

 

 

このように、日帝は蒙帝、華帝以上に大きな歴史貢献を果たしてきたというのが 「正しい認識」 なのである。

 

 

 

 

 

 

江戸彼岸(エドヒガン)桜 中央公園(埼玉・朝霞)にて 3月30日撮影