『 根韓論 世界中から嫌われる韓国人の「小中華思想」の正体 !』
黄文雄(こう・ぶんゆう 1938~)
株式会社宝島社 2014年9月発行・より
日露戦争が終結した明治38(1905)年、第二次日韓協約が締結された。
朝鮮は日本の保護国になり、京城(現在のソウル)に朝鮮総督府が設置される。
初代統監に就任した伊藤博文は、朝鮮の近代化政策を推し進めた。
この2年後の1907年に起きたのが 「ハーグ密使事件」 だ。
ロシア皇帝ニコライ2世が主唱し、オランダのハーグで開催された第2回
万国平和会議に、李氏朝鮮第26代国王の髙宗が3人の密使を派遣。
韓国保護条約の無効を訴えた。
日本に対して直接、モノを言うことのできない韓国が、列強の力を借りて日本を牽制(けんせい)しようと狙ったのである。
それは 「虎の威を借る」 という、韓国の伝統的なやり方でもあった。
しかし朝鮮には外交権がないとして、密使の会議への出席は拒否された。
この一件でロシア政府もすぐに 「密使派遣などの陰謀には一切関与していない」 と日本の駐露公使に知らせている。
伊藤博文は、この裏でコソコソと画策する陰険な行為に激怒した。
この一件を知った伊藤は高宗に謁見し、「かくの如き陰険な手段を以て
日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるには捷径(しょうけい)なるにしかず」 と迫った。
だまし討ちの陰謀がバレてしまった高宗は、すぐに責任逃れに走る。
「その一件は自分とはまったく関係がなく、下の者が勝手にやったのだ」 と弁解した。
伊藤には、「朝鮮の独立を最初に主張して清国と渡り合い、そして独立までさせたのは自分だ」 という思いが強かった。
伊藤は朝鮮併合反対派であり、あくまでも朝鮮の独立を望んでいたからこそ、いつまでも独立国家として毅然とした態度を取ることができない朝鮮に失望した。
日本人である伊藤博文は正々堂々としたやり方を好み、裏切りを嫌う。
これに対して韓国人である高宗は、コソコソしていてだまし討ちをする。
また、それが頭のいい証拠だと思い込んでいるから始末に悪い。
日韓の背後に潜むメンタリティとビヘイビアの根本的な相違点でもある。
高宗の性格については、先に登場した清朝末期の改革派政治家である、梁啓超も嫌っていた。
朝鮮滅亡の理由に関して、高宗と大院君(高宗の実父)の両者が最大の元凶だと梁は指摘している。
そして、ハーグ密使事件に見られたメンタリティは、現在の朴槿恵大統領による”告げ口外交”にも通じる。
朴大統領は 「日本はこんなに悪い国です」 と、第3国に告げ口をして回っているが、相手からは呆れられている。
伊藤が高宗のことを 「陰険」 と嫌がったのは、今の日本人が朴大統領の告げ口を嫌がるのとほぼ同じ感情だろう。
それが韓国人の性格だと言ってしまえばそれまでだが、日本人が呆れるだまし討ちという特質が、韓国人にとってはむしろ誇りなのだ。
なんとも哀れな民族である。