「人間はなぜ戦争をやめられないのか 平和を誤解している日本人のために」
日下公人(くさか きみんど 昭和5年~)
祥伝社 平成16年5月発行・より
では、アジア各国の日本批判に対して、日本にはどんな言い分があるのか。
「日本は50年前に侵略戦争をした」 という批判に関しては、こんなことが言える。
日本がアジアから出ていった後、イギリスがビルマに、オランダがインドネシアに、フランスがベトナムに侵略をおこなった。
アメリカはフィリピンに対して日本がすでに与えていた独立を取り上げた。
その後はベトナムにも攻め込んだ。
アジア各国が日本のことばかり言うのは、日本から金を引き出そうとしているからである。
「日本はアジアを蔑視している」 という批判については、どうだろうか。
まず第一に、アジアで経済的に成功した国々は、日本から浴びるほどの援助をもらった。
敗戦国の焼け野原の日本から、戦争賠償をもらった。
他方、日本は明治維新の時、どこからも援助を受けていない。
当時は 「国際援助」 という発想はない時代で、日本は自力で近代化を成し遂げた。
外国からの借金は完全に返済した。
第二に、豊かになったアジアの国々は、自国より貧しい国に援助をしていない。
むしろ、軍事力を増強して隣国と紛争を起こしたりしている。
それから、もう豊かになったから日本に返済すると言い出さない。
他方、日本は昭和二十九年(1954年)イギリスと一緒にインドへの援助(コロンボ・プラン)を行ったが、昭和二十九年といえば、まだまだ日本はまずしかった。
それでも自分よりさらに貧しい国には援助を出したのである。
日本は昭和二十三年から翌二十四年にかけて、アメリカからガリオア・エロア基金という十八憶ドルの援助を受けた。
この援助は贈与とされたので、日本は国会で感謝の決議までした。
ところが、何年かして 「返してほしい」 と要求されてしまった。
なんだ、贈与ではなかったのか、という議論もあったが、しかし、政府は 「返せるのなら返そう」 という結論というを出し、「ガリオア・エロア基金は債務と考える」 という国会決議を出した。
昭和二十九年から返済交渉が始まり、昭和三十六年に妥結、翌年返済協定を妥結した。
返済総額は四億九000万ドルであった。
金額はともかく、返済しようと自ら考えたのは日本の根性である。
第三に、アジア各国は留学生を出す時、その費用を自国で出していない。
留学にかかる金は、相手国の国費によって賄(まかな)われる。
自国が費用を出さないから、留学生は相手国のシンパになる。
そして、勉強した知識を自分一人のものにして、同胞に教えない。
祖国に帰って就職すると、会社には自分の能力に見合った高い報酬を要求している。
そういう人々があつまってた政府だから、政府も自国を救うためには金を使わない。
社会資本の整備まで他国の援助や投資に頼る国になる。
この点、日本とは対照的である。
たとえば、明治維新前夜の文久三年(1863年)薩摩藩とイギリスは戦火
を交(まじ)えた(薩英戦争)。
薩摩藩はイギリスの近代兵器に敗れ、町を焼かれた。
薩摩の人たちは自分たちが劣っていることを知ると、ただちに優秀な留学生二人をイギリスに派遣することに決めた。
身分は低いがいちばん賢い若者を選び、藩費で留学させたので、留学生はイギリスから帰ると、みんなに自分の得た知識を教えた。
みんなの金で行かせてもらったから、みんなに知識を広げるのは当然のことだったのである。
このように、日本と比較するとアジアの国々は国家としての一体性と自主性に欠けている。
経済的なけじめが曖昧で、それがいつまでも続く。
彼らは 「日本は先進国だから、”後進国である” わが国を援助するのは当然だ」 と言うが、とても日本の ”後を進んでいる” とは思えない。
日本の後を進んでいるのなら、「援助の返済」 を考えねばならぬ。
光が丘公園(東京・練馬)にて 3月31日撮影