日米による「フィリピン解放」     | 人差し指のブログ

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「人間はなぜ戦争をやめられないのか    平和を誤解している日本人のために

日下公人(くさか きみんど 昭和5年~)

祥伝社平成16年5月発行・より

 

 

 

 日本がインドネシアへ攻め込んだのも解放戦争だった。

インドネシア国民は大歓迎したのだから、解放戦争だと言って通る。

 

 

 あるいは、フィリピンに行ったのも解放戦争だと言えなくもない。

独立を与えたからである。

 

 

日本は、昭和18年の10月14日にフィリピンを独立させた。

 

 

ところが、その日本が与えた独立を、先に述べたとおりアメリカのマッカーサーが進駐して、取り消し大統領を投獄した。

 

 

そして、昭和21年にあらためて独立させた。

 

 

 アメリカは、フィリピンに対して、侵略戦争をしたと言えるのではないか。

 

 

昭和19年10月14日、フィリピンは日本が与えた独立の一周年を祝ったが、ヨルフ・パルガス駐日大使は東京で次のように演説した。

 

 

「しかし、大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁(こうまい)な精神と理念を表明した。

帝国はそのすべての宣誓と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである(中略)。

 大東亜戦争において・・・・・日本帝国は、あまりに厳しく、あまりにも不当な圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。

日本は帝国であったが、・・・一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した」

 
  また、その一年前の昭和18年10月14日の独立に際し、フィリピン政府はアメリカに対し、二度と軍事行動をこの地に持ち込まないでほしいと訴えている。
 
 
そのとおりであって、アメリカはフィリピンを素通りして日本を直接攻撃することが十分可能だった。
 
 
しかし、マッカーサーの強い主張が通ってアメリカはフィリピン国を攻撃した。
 
たぶん、マッカーサーは親子二代の統治でフィリピンに大きな利権を持っていたからだろうと想像できる。
 
 
  日本とアメリカの手によって二度開放されたフィリピンは、アメリカの安保体制に組み込まれて九十九年間の駐留権を持つ米軍基地ができた。
 
 
また、アメリカに強制されて憲法を修正し、アメリカに通商上の特権を与えたが、フィリピンがアメリカから得た特権はなかった。
 
 
 
                                                          
 
 
 
2016年12月17日に 「アジアの独立を支援していた戦前の日本」 と題して日下公人の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
 
 
2017年10月12日 に 「フィリピンの戦争記念碑がおかしい」 と題して井上和彦の文章を紹介しました。コチラです。↓
 
 
2017年10月25日に 「フィリピンとアメリカの戦争」 と題して井上和彦の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
 
 
 
                   中央公園(埼玉・朝霞)  10月17日撮影