フィリピンとアメリカの戦争 | 人差し指のブログ

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「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争

井上和彦(いのうえ かずひこ 1963~)

株式会社産経新聞出版 平成25年10月発行・より

 
 
 
1980年、スペイン領キューバを巡るスペインとの 「米西戦争」 を契機に、アメリカ合衆国は太平洋の島々を次々と自国領に組み入れていった。
 
 
 一方、この米西戦争をフィリピン独立の好機ととらえたフィリピン人の独立運動家エミリオ・アギナルドは、1898年6月に独立を宣言し、翌年初代大統領に就任した。
 
 
 これで300年以上にもわたるスペインの植民地支配は終焉し、ついにフィリピンが独立するはずだった。
 
 
だが、アメリカがそれを許さなかった。
 
 スペインとの覇権戦争中にハワイを併合したアメリカは、米西戦争の講和条約(1898年12月10日パリ条約)によって、なんとスペインからグァム、フィリピンを獲得していたのだった。
 
 
アメリカは、フィリピンがその半年前に独立を宣言していたことを黙殺し、スペインに代わってフィリピンの新しい宗主(そうしゅ)国となったのである。
 
むろんフィリピンは激しく抵抗した。
 
 
 
 ここに3年にわたるフィリピンの第2次独立戦争ともいうべき 「米比戦争」 が勃発した。
 
 フィリピンは、スペインとの独立戦争が終わるや、今度はアメリカと戦わねばならなかったのである。
 
 白人の優越感や奢(おご)りは、有色人種の自由と希望をいとも簡単に奪っていったのだ。
 
 
 
19世紀から20世紀半ばまでの世界の紛争の原因は、こうした白人国家の覇権主義に因(よ)るものであったとは覆うべくもない事実である。
 
 
 
またフィリピンを手に入れたアメリカは、即刻次ぎなる標的である清国への市場参入を正当化するため、1899年に他の列国に対して門戸開放宣言を提唱。
 
ひたすら太平洋を西へ突き進んできたアメリカの帝国主義的西進運動が、ついに中国大陸に達したのである。
 
 
 
そしてその延長線上にアメリカの 「対日戦争」 があった。
 
1941(昭和16)年に戦端が開かれた日米戦争は、当時の情勢を客観的にみれば露骨なアジアへの覇権が引き起こしたアメリカの侵略戦争だった側面は否定できまい。
 
 
 
「米西戦争でたくさんのフィリピン人が殺されたんです。フィリピンは白色人種によって全てを奪われたんですよ。スペインが去った後、アメリカはフィリピンに英語を強要し、アメリカの植民地にしてゆきました」
 
 
 
フィリピン人通訳のマリオ・ピネダ氏は、フィリピン人は白人国家間の覇権争いの犠牲者だとしてつづけた。
 
 
 
「アメリカは、アジアにおける唯一の植民地フィリピンを徹底的に弾圧しました。アメリカの国旗に頭を下げない人々は皆グァム島に送られたんですよ。グァム島の人口の30%がフィリピン系である理由にはこうした歴史的背景があります」
 
そんな歴史を知る日本人は果たしてどれほどいるだろうか。
 
 
 
 
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影