「お言葉ですが・・・❹ 広辞苑の神話」
高島俊男(たかしま としお 1937~)
株式会社文藝春秋 2003年5月発行・より
戦中神話、とでも呼ぶべきものがある。「戦争中はこうであった」と多くの人が言い、また信じている話である。ほんとうはそうでないのに 。
その最たるものは、「英語が禁止されていた」 あるいは 「英語教育が禁止されていた」 という話だ。
こういうことを言う人たちのバカの一つおぼえが、「野球でセーフを 『よし』
アウトを『ダメ』 と言った」 の類である。
そんなのはごくごく一部のことだ。
軍の学校でもセーフ、アウトでやっていた。一般は言うまでもない。
昭和十九年十二月に封切られた東宝映画 『雷撃隊出動』 に、中部太平洋の基地で兵たちが野球をやる場面があり、ちゃんと 「ストライク」 と言っていた、と小林信彦さんが書いていらっしゃる。
言いかえさせるなら大衆宣伝の手段であった映画でこそ、まっさきにやらねばならぬはずだ。
(略)
英語は禁じられていないし、また禁じ得るわけがない。
「ガソリンの一滴は血の一滴」 「パーマネントはやめませう」などの標語があったし、「エンヂンの音轟々と」 「七つボタンは桜に錨」 などの歌は
大いに歌われていた。
われわれ子どもは冬になると拍子木をたたいて 「マッチ一本火事のもと」と夜まわりをしていた。
かりに英語はまかりならぬと命じたとしても、日常だれもが口にする、
ガラス、コップ、タオル、歯ブラシ、バケツ、メリヤス、スフ、トンネル、プロペラ、トラック、ビール、シャツ、パンツ、ゴム、メートル、ペンキ、ニス、チューブ、タイヤ、ハンドル、ポケット、ハンカチ、バス、リヤカー、・・・・・・
等々々の、どれが英語やらポルトガル語やら、ふつうの日本人にわかるものか。警官だってわからない。
なんなら昭和十九年の暮れに出た太宰治の 『津軽』 でもちょいとのぞいてみるとよい。
いくらでもカタカナ語が出てくる。そのほとんどが英語である。
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影