「国家と人生 寛容と多元主義が世界をかえる」
竹村健一(たけむら けんいち)・佐藤優(さとう まさる)
株式会社太陽企画出版2007年12月発行・より
<佐藤> もうひとつ、私は受験時代に先ほどいったTBSラジオの『ミッドナイト・プレス・クラブ』 をよく聞いていて、竹村さんの対談の妙というか、ディベートの上手さを真似しようと思っていました。
<竹村> ああ、それはうれしいね。『ミッドナイト・プレス・クラブ』 も結構長く続いた番組で、毎晩10分の帯番組だったけれど、人気はあったよ。
(略)
<佐藤> 世界各国の人たちとの丁々発止のやりとりが楽しかったですね。
外国人特派員が話すのを竹村さんが大阪弁で簡単に要約して、その後、猛烈な勢いで反撃を加える。
たしか韓国の記者が相手だといつも激しい議論になっていたし、オランダの記者とも毎回、激論をかわしていましたね。
<竹村> 世界各国のジャーナリストにきてもらったが、
そのなかに、本人は特派員といっていたけれども、
じつはソ連のスパイだった人物がいたらしい。
もちろん僕はしりませんでしたが。
ロッキード事件が勃発して田中角栄さんが逮捕されたときの彼とのやりとりをいまでも覚えています。
彼は、「ソ連のマスコミは判決で罪が確定しないうちは論評しないが、日本のマスコミは逮捕直後からさまざまなことを書く。これは自由の表れのようだが、反面、一種の世論誘導じゃないか」 というのです。なるほど、慧眼だと思いました。
その彼がいま、プーチン大統領の側近なんですって。
<佐藤> そうです。名前は明かしませんがSというロシアの対外情報庁ナンバー5くらいに位置する将校です。
本職は旧ソ連のKGBに所属する有能なインテリジェンス・オフィサー(情報将校)でした。
<竹村> ソ連からやってくるジャーナリストにはスパイが多いというけれど、彼もそうだったわけだ。
<佐藤> ソ連では、どんなことがあっても食べていけるように、スパイは職業を二つ持てという教育をしていたのです。
スパイなんて、いつ何に巻き込まれて失業するかもしれない。
彼は三年間ほど、きちんとジャーナリストの修行をしているので、ほんもののジャーナリストとしても食べていけたのです。
付け焼刃のジャーナリストでなく、きちんと記者としての訓練をしています。
<竹村> なるほど。だから記者とスパイの二足のわらじが履けるわけだ(笑)
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影