「人間はなぜ戦争をやめられないのか 平和を誤解している日本人のために」
日下公人(くさか きみんど 昭和5年~)
祥伝社平成16年5月発行・より
旧日本軍で悲惨なのは、リストラで中学校へ配属将校になって、学生に軍事教練を教えなさいというケースだ。
給料はそこそこだが、本人は陸軍大臣になりたかったのだから、がっくりくる。
これは大正14年(1925年)以降のことだが、軍縮によるリストラが行われ、師団や連隊が廃止された。
そこで、余った現役の陸軍将校2000名が中学校の先生になったのである。
陸軍士官学校を卒業するのは、毎年350人くらいで、45歳までの25年間の合計は1万人たらずだから、その五分の一に当たる人たちが転職を余儀なくされた。
そして定年がやってくる。
兵隊が町を歩いていると、辞めた上司が生命保険の勧誘員をしている。
元大尉とか元少佐が歩き回って、かつての部下のところに行って、生命保険に入りませんかと勧誘している。
将校マントを着て、将校鞄(かばん)を持って、こんにちはと訪問する。
すると、「中隊長殿、されでは一口(ひとくち)はいりましょうか」 ということになる。
ありがとうと、敬礼して帰っていく、それが町中に見られた風景だった。
そういう軍人さんの姿が昭和10年ぐらいまで続いた。
ところが、昭和12年に盧溝橋事件が起こると、突然ボーナスが出て、勲章が出るようになった。
戦地での行動は新聞に出るから、軍人はみんな張り切る。
それまでが、いかに退屈で惨めだったかを理解すれば当然のことである。
青年将校たちが五・十五事件や二・二六事件を起こしたのは、「娘を売るような農村不況に同情したから」 と言われるが、軍人自身がこのように不幸だった事情も見逃せない。
戦前の日本は、平和が長かった。
イギリスのように休みなく戦争をしていた国ではない。
中国やシベリアで局地戦をしただけで、日露戦争以降は総力戦も近代戦もやっていない。けっして軍国主義ではなかった。
だから、軍人がイライラしたのも無理はない。
イギリスは軍国主義で戦争つづきの国だったから、軍人はイライラしなかった。
3月31日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影