「歴史の真実と政治の正義」
山崎正和(やまざき まさかず 1934~)
中央公論新社 200年2月発行・より
いいかえれば、歴史を書くということはまさに一回ずつ歴史を見直し、
過去を再評価し再定義する努力のなかにしか成立しない。
その努力がときどきの政治的正義に関係づけられ、強制されたり妨害されたりするのは、人間の知のために不幸というほかないからである。
そうした不幸の鮮やかな典型を、現代人はすでに1961年に目撃していたはずであった。
この年、A・J・P・テイラーが 『第二次世界大戦の起源』 を書き、純粋に非政治的な立場から、この戦争にいたるヨーロッパの歴史を見直した。
およそドイツやナチスに同情的であるはずのない歴史家であるが、
彼がそこで再発見したのは、第二次大戦がたんにヒトラーの悪意と狂気の産物ではないという真実であった。
虚心に見れば、それは第一次大戦の戦後処理の不手際に始まり、
オーストリア併合、プラハ占領といった事態の節目ごとに見られた、
両当事者の失敗や思惑違いから生じた戦争であった。
テイラーはヒトラーの侵略の意思を十分に認めたうえで、ただそれを歴史の一元的な原因と見ることを否定したのである。
先入見を排して史料を読み、共感や反感を抑えて事実を追い、世界観による評価を前提せずに過去の姿を再構築するのが、テイラーの歴史の方法であった。
その当然の結果として、彼は第二次大戦を 「英雄も悪漢もいない戦争」 として描いたのであるが、これが当時、予期せぬ政治的論争の渦に巻きこまれたことは広く知られている。
トレヴァー・ローバーのような批判者は、これをナチスの犯罪を弁護する試みだときめつけ、反対に 「ネオ・ナチ」 の運動家はみずからの正義の傍証として歓迎した。
テイラー自身は彼の歴史認識とは別に、ナチスの残虐性を政治的に許すつもりはないと弁明したが、二つの立場を区別しようとするこの論理は論争の火を消すには十分ではなかった。
おそらく、これは二十世紀最初の歴史の見直しが たどった運命であるが、ここに本質的に含まれている問題は、半世紀近くたった今も解かれていない。
昨年11月27日 平林寺(埼玉県新座)にて撮影