「知ったかぶり日本史」
谷沢永一(たにざわ えいいち 1929~2011)
PHP研究所 2005年2月発行・より
或(あ)る新進作家が、ということはまだ文壇に認められるに至っていない時期に、少年少女向きの物語を注文されて、これは筆を行(や)るについての勉強だからと自分に言い聞かせ、それなりに工夫し努力を重ねて書きあげた。
それが書物となって届けられたのを新妻に見せたところ、
彼女は一言、最初の本が子供向きとはね、と言った。
この言葉は作家にこたえた。
骨も凍るようなこの冷言はいつまでも忘れられず、
そのきびしい評語を軸とし後年に一篇の長編小説まで書いた。
終生ぬぐいがたい痛手であったろう。
おそらく彼女は夫を励まし、もっと本格的な作品を書くようにと、
誘導したつもりであったかもしれない。
しかしとにもかくにもタイミングが悪かった。
子供向きであろうがなかろうが、著作活動を自分の一生の仕事と思い定めている男にとって、最初の一冊はまことに嬉(うれ)しい宝物である。
本人も喜んでいる。
さらにそのうえ彼は妻に喜んでもらいたかったこと言うをまたない。
それゆえ、かねてからの夫に対する期待の念を、今のところはひとまず胸に秘めておき、さしあたりその場においては、夫の喜びに歩調をあわせてやるべきであったろう。
世には確かに、冷たい男、冷たい女、なるものがいて、詰まらぬ物を一緒に喜べばウソになる、と言い募るであろう。
そうなのだ。ウソをつけない人は、人間関係に適応できない性質(ひと)なのだ。
人間は、ウソつきでなければならない。
夫婦、親子、友達、それぞれが、本当に腹の底のまた奥底に秘めている思いをすべてぶっちゃければ、ただそれだけで、家庭も交友も一瞬にして完全に崩壊する。
人間関係の絆(きずな)はただひとつ、上手(うま)い嘘(うそ)である。
嘘を本気にする奴は本当の馬鹿であるが、百人中九十九人までの通常人は、ウソで褒めてくれた相手の心遣いに感謝の念をもって、
少なくともその日一日元気で過ごせるのである。
佳(よ)き妻たらんと欲すれば、半身は経理担当の如(ごと)く冷静に、半身は芸妓(げいぎ)の如く美しい褒め言葉をもって、夫に接するべしと言われる。
男もまた然(しか)りであること言うまでもない。
3月26日 九段(東京・千代田区)にて撮影・土手の上を左へ行くと武道館です。 この日は明治大学の卒業式が行われていました。