「朴槿恵の真実 哀しき反日プリンセス」
呉善花 (お そんふあ 1956~)
株式会社文藝春秋 2015年8月発行・より
韓国人は、長い歴史を通して、北方からの侵略・外圧に悩まされ続け。
国内では過酷な専制支配下に置かれ続けてきました。
そうした内憂外患の 「受難の歴史」 を省みて、
自分たち民族をしばしば 「恨の多い民族」 と呼んでいます。
そして 「恨の多い民族」 としての韓国人には、「わが民族は艱難辛苦の歴史を歩んできたが、それに負けることなく力を尽くして未来を切り開いてきた」 というように、さらに恨をバネに生きてきた自分たちの民族を誇る
精神的な伝統があります。
ところで韓国人にキリスト教徒がことのほか多いのも、
ここに理由があります。
韓国人がキリスト教を受け入れやすい大きな要素の一つは、
苦難の歴史を歩んだユダヤ人・イスラエルの民と、
自分たちの境遇を重ねる意識が強く働くところにあります。
次のように、自分たちの歴史がユダヤ人のそれに重ねられることがしばしばです。
「韓国人とユダヤ人には、苦難の歴史を歩んできたという歴史的な共通性がある。
ユダヤ人がそうであるように、苦難の歴史を歩んできたわが民族も、
神から選ばれた特別の民(エリート)であり、最終的な救済を約束された民である」
実際、右(上↑・人差し指)のように説く韓国人キリスト教聖職者は多く、
韓国がキリスト教を受容した理由の第一をそこに求める論者も少なくありません。
こうした考えは、すでに韓国初期キリスト教にありました。
戦後には反日民族主義と結びつき、より強固なものとなっていきます。
戦後の韓国は、「日本帝国主義の支配」 によって、国を奪われ、国土を奪われ、富を奪われ、言葉を奪われ、文化を奪われ、過酷な弾圧下で苦難の歴史を歩まされたという、反日民族主義を国是として出発しました。
そうした 「苦難の歴史」、その 「誇りの回復」 というところで、反日民族主義とキリスト教が一致するのです。
戦後の韓国を主導したのは、李承晩(イスンマン)をはじめとする国外では反日独立運動を展開していた者たちですが、その多くはクリスチャンだったのです。
そして今日の韓国のキリスト教は、反日民族主義とわかちがたく結びついています。
最近の韓国の教会では、多くの場合、日本人を 「隣人」 とはいいません。
「隣人」 はイエスの教えでは、愛すべき、許すべき人々だからです。
「隣人」 は今では北朝鮮人になっています。
(略)
神の民ユダヤ人、神の子イエスがそうだったように、我々はどんな罪もない善なる民族なのに、私はどんな罪もない正しい人間なのに、なぜ迫害されなくてはならないか 。
そのように思いを向けるところに、韓国人の多くがキリスト教に惹かれていく大きな理由があります。
それで杉原畝傍が戦時中にユダヤ人を助けたので彼らが日本に感謝している なんていう話を聞いたら韓国人は火病を起こすわけですね。
http://oboega-01.blog.jp/archives/1069641937.html
昨年11月27日 平林寺(埼玉・新座)にて撮影