特異な男・舛添要一 | 人差し指のブログ

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「2017年 世界の真実」

長谷川慶太郎 (はせがわ けいたろう 1927~)

ワック株式会社 2016年8月発行・より

 

 

さらに余談をつづけると、私は桝添とも面識がある。

 

 

彼はフランスのパリ大学で三年、国際関係史をフランス語で講義し、

その任期が終わると、スイスのジュネーブ高等国際研究所に移って、

今度はドイツ語で国際政治を教えた。

 

 

その後、東大に戻って、

『日本人とフランス   「心は左、財布は右」の論理』 という本を出し、

私は出版社から帯に載せる推薦文を書いてくれと頼まれた。

 

 

「会ったこともない人間の推薦文は書けない」

と言ったら、彼が訪ねてきた。

 

 

最初に聞いたのは、

「あなたは八幡高校の出身らしいが、北九州で優秀な青年は、

みんな小倉高校に行く。なぜ小倉へ行かなかったのか」

 

 

彼はこう答えた。

「 小倉高校からは現役で毎年、東大に何人も入ります。

八幡高校は現役で入った人間が一人もいません。

僕は現役で通りましたよ。目立つでしょう 」。

 

 

高校の選択だから、十四歳か十五歳のときに考えたわけだ。

かれはそういうはしっこいところがある。

 

 

三十代前半で東大の助教授になり、

パリ大学に行くときは東大が休職扱いにした。

人材として惜しい 「休職でもしょうがない」 ということだろう。

 

 

これは本人から聞いたことだが、彼は日本語、英語、フランス語、

ドイツ語、ラテン語と五カ国の言葉ができる。

 

 

ラテン語で論文が書けるという。

 

 

また、パリ大学の講義はフランス語だが、その中にラテン語をどれだけ

ちりばめるかによって評価が決まるのだそうだ。

 

 

桝添は学者としては才能は豊かだが、政治家としては疑問符がつく。

例えば、都知事になってから認知した子どもの養育費の減額を求めて訴訟を起こしたのはいかがなものか。

 

 

二千六百万円の年俸をもらっていて、

二十万円が払えないという話は通らない。

 

 

だから、裁判で負けた。

それ以上はやらなかったけれど、ケチなことを負けるまでやる。

ちょっと特異な存在である。

 

 

 

 

 

昨年12月14日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影