日本人が引き揚げるとき台湾の盲人が | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「日本と台湾    なぜ、両国は運命共同体なのか

加瀬英明(かせ ひであき 1936~)

祥伝社 2013年9月発行・より

 

 

 

日本人の台湾からの引き揚げは、終戦翌年の1946年の3月から始まった。

 

武装解除された日本軍隊の内地送還は、前年12月から進められていた。

 

私は台湾から引き揚げた邦人による、多くの手記を読んだ。

 

 

引き揚げに当たって、所持金が一人1000円、所持品は行李(こうり)一個までという制限が加えられたので、全身が身一つで、母国の土を踏んだ。

 

 

台湾を去ってゆく日本人に対して、台湾人がとった態度には、胸を打たれる挿話が多い。

 

 

以下は、台湾協会発行 『台湾引き揚げ史     昭和20年終戦記録』(1982年)からの引用である。

 

 

「われわれ引揚者数百人が、台北駅前に集結したときであった。一人の盲人の台湾人が、私たちに選挙の街頭演説のような大きなよく通る声で、あいさつを始めた。

 

 

『私は台湾の一盲人であります。私は日本が私たち盲人にまで教育してくれたことを感謝しているものであります。皆さんは故国に帰ってから、さぞ苦労されることと思いますが、台湾にはあなた方に感謝している盲人がいることを、忘れないで下さい』

 

 

私たちは足取りも重く、帰国後の不安感で心がうつろであったとき、この盲人の真情を吐露した言葉に深く感動した。

 

また多くの台湾の人たちが、ちまきや手作りの食べ物などを持ってきて、別れを惜しんでくれた」

 

                                                     

 

 

 

大正時代に台湾を旅したアメリカ人が日本による台湾統治を褒めていました。それを加瀬英明が紹介したので 「アメリカ人が見た戦前の台湾」 として 2018年1月30日に このブログに載せました。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12335480735.html

 

 

 

 

では日本人が引き揚げた後はどうなったかといえば~2017年10月5日に 「日本の兵隊と蒋介石の兵隊」 と題して金美齢の発言を紹介しましたコチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12312686776.html

 

 

 

 

では朝鮮の盲学校の場合はどうなんだろうとおもって調べたらありましたコチラです。↓

http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2013/100_23.php

 

 

 

 

11月27日 平林寺(埼玉・新座)にて撮影