小沢一郎が料亭で・・・ | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

 

 

「小沢一郎は背広を着たゴロツキである。 私の政治家見験録

西部邁(にしべ すすむ 1939~)

株式会社飛鳥新社 2010年7月発行・より

 

 

 

小沢氏と会う予定のことを中曽根氏に話したら、少し間をおいて、「彼は飲む打つ買うの人ですよ」 といわれた。

 

(略)

 

築地の料亭に赴(おもむ)くと、その部屋には大蔵省の方々と栗本氏のほかに店の女将(おかみ)をはじめとする女たちが四,五人入り込んでいた。

 

 

女たちがいるのはかまわないが、彼女たち、いささか興奮気味とみえた。

女将みずからがいうに、「小沢さんはプロの女たちに大人気なのよ」 ということなのであった。

 

 

少し遅れて小沢登場となるや、室内にキャアーキャアーアと嬌声(きょうせい)が挙った。

 

 

小沢氏が私の隣に座してからも、女たちは 「スキッ」 といってそろって笑い、小沢氏も 「こんな顔なのに、アッハッハッ」 と上を向いて大笑いする。

 

 

女たちが 「女にもてるんでしょっ、ずいぶん遊んだんでしょ」 といって、こぞってキャッキャッと笑い、小沢氏が 「そんなことはないよ、アッハッハッ」 と大口を開けて大笑いする。

 

 

その間、心臓疾患ありと新聞で噂されていたのに、コップの冷酒が次々と小沢氏の口に運ばれていく。

 

思わず私は 「そんな急ピッチで大丈夫ですか」 と小声で口を挟んだが、小沢氏は 「これくらい何てことはありませんよ」 といって、また大笑いである。

 

 

元来、私は日本人のほとんど無意味な集団的笑いが、女たちの金切声(かなきりごえ)の合唱であれ男たちの引き付け声の唱和であれ、虫酸(むしず)が走るほどに嫌いだ。

 

 

そうした集団的な高笑いは、互いのあいだの緊張感を解消せんとするものである。

 

 

つまり、巧みな言葉で解決する能力がないか、あるいはそのための努力を怠ったりしているのである。

(略)

 

それは文化的な恥辱心だといいたいくらいのものである。

 

 

とくに気味の悪いのは、大きな権威や権力を有した者の前、つまり恐怖や畏怖(いふ)を抱く相手の前での集団的な笑いには、そこに臆病な迎合(げいごう)の態度があからさまに醸(かもし)出されるため、下種(げす)な感じが漂う。

 

(略)

そうした日本の社会と政治にはどことなし病理のにおいすらがする。

 

 

そうした光景が、突如として、その料亭の一室に現出したのである。

 

 

私が病理のにおいを感じたのは、ほかでもない、下卑(げび)た会話と下品な笑い声が、それだけが一時間も続いたからだ。

 

 

私は、時計をみて 「ああ、もう一時間も経ったなあ」 と確認したのをはっきり覚えている。

 

(略)

「皆さん、ちょっくら待って下さいな。私もまったくの暇人(ひまじん)というんじゃない。小沢さんがせっかくきて下さったんだ。くだらない話をこれ以上つづけるのはよしにしましょうよ」

 

 

座が一瞬にしてシラケ、栗本氏が 「まあ、まあ」 とあわてているのがみえた。

 

 

そのとき、誰かが 「そうだ、天下国家についてそろそろ語りましょうや」 と軽口を叩いてくれればよかったのだが、そんな機転の利く者がいないから、座が乱れっ放しとなっていたのである。

 

 

逆に、皆が黙ってくれれば、私が 「小沢氏の謦咳(けいがい)に触れたんですから、ついでに経綸(けいりん)にも触れてみたいですねえ」 ということもできた。

 

 

ところが、女将が 「ああっ、全学連が怒った」 と間髪(かんぱつ)を入れずに茶々(ちゃちゃ)を入れてきた。

 

 

その声質(せいしつ)も顔付きも、私には、どう感じてみたとて、品が悪いとしかいえなかった。

 

「ウルセエ、クソッタレ女、俺は帰るぞ」 といって、私はその場から姿を消した。

 

 

 

翌日、私はいわば 「論理的」 に反省した。

 

 

あれは小沢氏が自分の ほんの一面」 を示しただけで、場の流れに合わせて 「ほかの多面」 を隠すことになったのだ、という可能性を否定できなかったのである。

 

 

そこで 「独りで会ってみよう」 と考えた。

 

 

小沢事務所に自分で電話を入れたのか、大蔵省の人に依頼したのかは思い出せないが、ともかく 「自分にはお伝えしたいことがいくつかあり、伺(うかが)いしたいこともいくつかあるので、三十分かそこら、昼休み時にでも小沢事務所を訪れたい」 と申し込んだわけだ。

 

 

結果、私の論理的反省は不要であったとわかった。

 

 

「ああいう場で小沢先生の考えの一端(いったん)も知ることができませんでしたので、やってきました」 と挨拶してから、私は真正保守が育たないと日本が国家でなくなることについて簡略に語った。

 

(略)

 

しかし、実際に会って私が何かいうと、小沢氏は 「ああ」 としかいわなかった。

 

ほかの何かを語ると 「うう」 とのみ発した。

 

さらに別の何かを喋ると 「ええ」 とだけ答えた。

 

 

「こりゃ駄目だ。料亭ではめったになく下品な人間と感じたが、それに加えて、他人の気持ちを推量するのにおそろしく鈍感なのであろう」 と私は思った。

 

 

私と会いたくないのなら、多忙を理由に 「またそのうちに」 とか 「別の機会に」 とでも秘書にいわせておけばよい。

 

 

嫌々(いやいや)でもともかく会うことにしておいてこの失語症かといいたくなるほどの言葉の少なさである。

 

 

これは、一体、何なのだろうと、帰路、首をかしげざるをえなかった。

 
   
                                                                                                             

 

2016年1月7日に 「小沢一郎はこんな人間だったのか!」 と題して

坪内祐三の文章を紹介しました。コチラです https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12108631450.html

 

 

 

 

 

6月6日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影