私は週刊文春のこの記事を読んでいなかったのでとても驚きました。
「あの顔の持ち主がこんな行動をとるのか!」と思いましたよ。
「人声天語2 オンリー・イエスタデイ 2009-2015」
坪内祐三(つぼうち ゆうぞう 1958~)
株式会社 文芸春秋2015年10月発行・より
去年三月十一日の大震災が起きた直後、私はアレレレ、不思議だぞと思うことがあった。
その「不思議」について人と語りあったりもした。
「不思議」というのは小沢一郎の動向だ。
小沢一郎は他ならぬ岩手県選出の政治家だ。つまり震災で大きな被害を受けたのは彼の地元である。
政治家であるからには、しかも彼のような大物政治家なら、そのような時、まっ先に地元に戻ってリーダーシップを発揮しなければならない。
彼の選挙区である岩手県の水沢はあの関東大震災後の復興院総裁をつとめた後藤新平の出身地だ。
だから、時の総理や官僚たちに先んじて小沢一郎は何かをやってくれるのではないかと私は期待した。
そして新聞や雑誌、テレビなどを注意深く読んだ(見た)
ところが小沢一郎は姿をくらましてしまったのだ。
震災後三日が経ち四日経ち、一週間過ごしても小沢一郎はメディアにまったく登場して来ないのだ。
私はその「不思議」を何人かの人たちと語りあった。
その「不思議」が『週刊文春』六月二十一日号で明かされた。
小沢一郎の支援者に宛てた手紙で小沢一郎の妻小澤和子氏はこう書いている。
「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げ出した小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」
そして震災後に小沢一郎がとった驚くべき行動の詳細が語られる。
震災の時和子氏は、「お世話になった方々の無事もわからず、岩手にいたら何かできることがあったのではと何一つできない自分が情けなく仕方ありませんでした」
そんな中、三月十六日の朝小沢一郎の第一秘書がやって来て
「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書達を逃がしました。私の家族も大阪に逃がしました」
と言い、さらに
「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えて下さい」と言葉を続けた。
和子氏は仰天して、
「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないのか!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないか」
と問いただすと、秘書は、
「国民に知らせないのは大混乱を起こすから」と答えた(これがまったくのデタラメであったことはすぐに判明する)。
激怒した和子氏は「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げだすとは何事ですか」と怒鳴った。
秘書からその報告を受けた小沢一郎は、
「じゃあしょうがない。食糧の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」
と言って「書生に買いに行かせ」そのあとは家に閉じこもりまったく外に出ようとしなかった。
二日後れで届いた岩手日日新聞に、「三月十五日国会議員六人が県庁に行き、知事と会談」とあったが、
一緒に岩手に行こうと誘われた時、小沢一郎は、「党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました」
東京金町の浄水池から放射性ヨウ素が検出されたと報じられたのは三月二十三日だが、二日前にその情報をつかんだ小沢一郎は書生達に命じて、ミネラルウォーターでご飯を炊き、洗濯にまでその水を使おうとしたが(ペットボトル何本分だろう?)
和子氏は、「他の人と同じ様に水道水を使います」と言った。
そして三月二十五日。「ついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました」
古今東西見渡してみてもこんな政治家、前代未聞だ。
普通の人が、非常時に自己中心的行動をとるのは、わかる。
しかし小沢一郎は政治家だ。しかも有力な、その有力な政治家という立場によって知り得た情報で、まず自分の命だけを考えるのはゆるされるだろうか。
政治資金問題や愛人問題はその人の政治的手腕とは無関係だ。はっきり言ってたいしたことないと思う。
だがこれは大スキャンダルだ(さらに不思議なのは私がこの原稿を書いている六月二十日現在それをテレビや新聞がフォローしないことだ)
自民党は次の総選挙で小沢一郎の「死客」として和子氏を出馬させるべきだ。
ヤブコウジ 赤塚植物園(東京・板橋区)昨年12月28日撮影