「太宰治が嫌いな理由」三島由紀夫 | 人差し指のブログ

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「決定版 三島由紀夫全集 40」

三島由紀夫(みしまゆきお 1925~1970)

株式会社新潮社 2004年7月発行・より

 

 

        ー対談・人間と文学ー

 

[中村光夫・三島由紀夫]

 

 

 

<三島>        作家がピエロというのは前提条件で、どこからどこまでピエロなんだから、自分でピエロだといったらピエロでなくなっちゃう。

 

 

つまり、ピエロが出てきて、私はピエロですピエロですといったら絶対ピエロでなくなっちゃう。

 

 

メドラノの曲馬、あれのクラウンはとてもいいでしょう。

 

 

あれは悲しそうだからいいので、私はクラウンですよといったらクラウンでなくなる。

 

 

日本の私小説というのはどうもそういう感じがする。

 

 

 

<中村>    また意見が一致する。

 

 

<三島>    もし演技に全精力をこめるのなら、大まじめで大悲しみ

でやるべきで、そのかわり自分はクラウンだということは一言もいわないでやるべきだと思う。

 

 

太宰がいちばん嫌いなのはそこです。

 

 

太宰は私はクラウンですよと絶えずいっていた。

 

 

だからおもしろおかしくもないし、そんな当たりまえなことをいうなと言いたくなる。

 

 

<中村>     太宰はともかくとして、日本の私小説は大まじめで、

大いに悲劇的な表情で喜劇的なことをやってたんじゃないの。

 

 

<三島>     自分が気がつかないでね。 自分が気がつかないというのはクラウンとはちがう。

 

 

クラウンは全部知っている。そして一生懸命やる。人は大笑い。

それが芸術家だと思う。

 

 

日本の小説家は自分がクラウンだということを知らない。

 

 

そして私はクラウンですよというのだけれども、腹の底でそう思っているかどうかはわかりません。

 

 

<中村>    思っていない。

 

 

<三島>    もし自分はクラウンだといえば、どこかの女が、冗談おっしゃてはいけません、クラウンじゃありませんよと・・・・・。

 

 

<中村>    必ず言ってくれると思っている。

 

<三島>    あれは耐えられない臭みだな。

 

<中村>    とくに太宰はね。

 

<三島>    耐えられない。

 

(1967・8・17)

対談・人間と文学<初出・初刊>「対談・人間」・講談社・昭和43年4月

 

 

追記

8月6日に 「三島由紀夫が大嫌いな太宰治に合った時」と題して紹介しましたコチラです

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12298261607.html

 

 

 

 

 

 

6月18日 朝霞中央公園(埼玉)にて撮影