「知の湧水」
渡部昇一(わたなべ しょういち 1930~2017)
ワック株式会社 2017年6月発行・より
EU圏内のかつては敵対したこともある国々が国境をなくし、域内の人の動きを自由にするということは理想主義的であり、かつ、人道主義的でもあると思われていたのだ。
ところが、中近東の騒乱が思わぬ方向に動き出して、ヨーロッパは改めて難民と移民の問題に直面したのである。
こういう複雑な問題が生じた時、参考になるのはその始原とも言える原型である。
私はそれを、アメリカのピルグリム・ファーザースとその後の移民の爆発的増加に見るような気がするのである。
難民は少数の間は 「気の毒な」 の対象になる。
移民も少数のうちは普通の市民は許容するであろう。
しかし、その後の発展を予見した政治家や市民は少なかったと言えよう。
しかも移民の問題でネグレクトされ易いのは、移民が増大した場合の原住民の問題なのである。
原住民がほぼ滅(ほろぼ)された例は、北アメリカのインディアン、
中央・南アメリカの文化を築いていたインディオたちである。
タスマニアから原住民は消されてしまった。
オーストラリアのアボリジニも、最初はケモノとして狩りの対象にされたくらいだ。
(略)
モロッコなどからアラブ系移民があったとしても、多くのフランス人は恐れなかったであろう。
パキスタンからの移民が入り始めた半世紀前に、それを心配したイギリス人は少なかったであろう。
(略)
フランスもイギリスも、自国の文化に自信のある国民だ。
フランス人は 「フランス’文化’」 と言わず、「フランス’文明’」 と言うぐらいだ。
イスラム系の移民が来ても、そのうちイギリス文化・フランス文明に融合されるだろうと考えていた節(ふし)があるようである。
大戦後七十年。その結果が表れてきた。
融合したイスラム教徒もあったろうが、大部分は変わらなかったようだ。
フランスには約五百万人のイスラム教徒がいると言われている。
彼らの出生率は、土着の白人よりも高い。
そうした人口問題よりもさらに重大に思われることは、イスラム系移民はフランスのキリスト教文明に融合するよりは、フランスをイスラム圏にしたがっている兆候があるということである。
イギリスでも状況は似たようなものである。
イギリスで生まれ、イギリスの学校・大学を出て、イギリスの弁護士資格を持つパキスタン人移民の子孫が、偽善の文明であるイギリスを変えてイスラム国にせよ、という主旨の呼びかけをしているという。
昨年11月27日 平林寺(埼玉・新座)にて撮影