「風山房風呂焚き歌 山田風太郎エッセイ集成」
山田風太郎(やまだ ふうたろう 1922~2001)
筑摩書房2008年12月発行・より
私は、テレビ以外に実際の 「能」 をいちども見たことがない。
ただ何となくその機会がなかっただけで、興味がないわけではなく、
それどころか、以前からもっとも気にかかっていたことの一つで、
そこで去る夏、蓼科に避暑にゆくとき、「能」 や世阿弥、室町時代についての本を十何冊か持っていった。
むろんほんものの 「能」 を知らないのだから、世阿弥の花伝書を読んでもよくわからないことはいうまでもない。
が、そういう人間にも最も適切な知識を与えてくれたのは、やはり山崎正和氏の 「変身の美学 世阿弥の芸術論」 その他の文章であった。
それもさることながら、いちばん驚いたのは 実ははじめて知ったことではないが 世阿弥という人物が、明治の末までほとんど世に知られず、はては実在さえ疑われていたらしいことである。
花伝書は、あるいはバラバラの写本として、あるいはダイジェストとして
一部に伝えられてはいたが、多くの能楽師や観能の人々の頭に、世阿弥という人物はもとより、この世界最高の芸術論の存在は影を落としていなかったようだ。
彼が一般に知られたのは、明治四十二年吉田東伍の 「世阿弥十六部集」が刊行されて以来のことだが、
たとえば漱石など、みずから謡いをやり、いろいろと能や謡曲について感想をもらした文章もあるのに、その中に世阿弥のゼの字もない。
それ以後だって、大正十五年に出た厖大な 「大日本人名辞書」に至っても、なお世阿弥はもちろん彼の本名観世元清(もときよ)の名は見えない。
親鸞が大正期まで実在を疑われていたのと相ならぶ史上の怪異だ。
つまり中世から近代へかけて、日本の能楽師や能ファンは、世阿弥を知らずして能を演じ、鑑賞し、日本の門徒は親鸞の実在はさておいてナムアミダブツを唱えていたことになる。
それからまた私にとってもう一つの怪異は 日本の文化は、時代によってそれぞれ特徴を持っているけれど、その芸術的な高さという点では室町が第一ではないかと感じられる。
が、周知の通り室町は下克上の、どうしようもない乱世である。
それどころか、室町の芸術は民衆や平和とは無関係であったからこそ、あの高さを作り得たのではあるまいか。
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影