「実践・快老生活 知的で幸福な生活へのレポート」
渡部昇一 (わたなべ しょういち 昭和5年~平成29年)
株式会社PHP研究所 2016年10月発行・より
広島にも、原爆投下の三カ月後ぐらいから人が戻ってきて住んでいる。
広島は世界で最初に原爆が落とされた地であり、被爆者にどういう影響があるかは、世界中の関心事だった。
被爆者に関しての国際的な研究が進められて、データが出ている。
それによれば、原爆投下直後に亡くなった人の多くは焼死か爆風によるものであった。
放射線で白血病になり、亡くなった人もいたが、被爆者全体から見ればかぎられた数であった。
被爆して生き残った人を長期間にわたって調査してみると、平均寿命は普通の人よりも長いくらいだった。
遺伝的影響はほとんど見られず、希形児の誕生も通例と比べて特筆すべきものではなかった。
広島の放射線の強さは福島とは比較にならない。それだけ強い放射線でも健康への影響は限定的であった。
このような研究結果が出ているにもかかわらず、福島では放射線医学の専門家の意見が無視されて、主に政治家の思惑で必要以上の除染が行われてしまった。
繰り返しになるが、「量の問題」 を忘れてしまってはいけない。
猛毒の薬品でも、きわめて少量であれば薬として効くことがある。
身体によいといわれる食べ物でも、過度に食べれば健康に害をもたらす。
(略)
八十歳を過ぎてから旧制中学校の同級生が集まったときに、飛び抜けて元気な人間が四人いた。
そのうち二人は禅宗の僧侶、一人は広島で原爆に被災者、もう一人が私だった。他の人はどちらかといえば、元気がなくなっていた。
私の知り合いに、広島で原爆に被災したもう一人別の人がいる。
その人とは、上智大学の寮でも同じ部屋で、その後もつきあいが続いた。
彼は原爆の爆風を受けて耳は片方が聞こえない。
そのくらい爆心地に近いところにいたが、病気で休んでいる姿を見たことがない。
彼からいろいろと話を聞いて、原爆は必ずしも放射線で亡くなるわけではないと知った。
偶然、彼とはドイツにも一緒に留学することになったが、ドイツでも元気だった。
原爆に被災した彼はドイツでは珍しがられて、医学部からしょっちゅう呼ばれていた。
若いときに健康だった人が長生きするとはかぎらない。
私の同級生でいちばんに亡くなったのは、相撲部の主将だった。
身体が大きくて元気だった人が最初に亡くなったので印象的だった。
その一方で、「身体が弱い」 と診断された私や原爆被災者が快活に長生きしているのだから、人生はわからないものである。
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影