「古典を読め!」・・・? | 人差し指のブログ

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パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「古典は読む価値がある」 と押しつけがましく推薦されしますが、

実際に読んで心から面白さを感じた人はほとんどいないのではないかと思います。

 

 

古いことが必ずしも優れていることと等しいわけではありません。

 

 

したがって、古いことをありがたがる必要はないといっておきます。

 

 

「古典を読みなさい」 と勧めるのは学者に多いのですが、

たいがいは権威主義の産物です。

 

 

要するに、自分たちを偉く見せるための道具として 「古典」 を使う。

 

学者にはそういう伝統があります。

 

 

代表的なのは日本の漢学者。

漢学塾の新入生に向かって、四書五経(四書は 『論語』 『大学』 『中庸』『孟子』 『五経』 は 『易経』 『書経』 『詩経』 『礼記(らいき)』 『春秋』)や 『史記』、

 

 

そのほかの文献を挙げて、「読んだか」 と効くそれらをすべて読んでいるぐらいならわざわざ塾に通う必要はない。

 

 

なぜ、そんなことを尋ねるのかというと、「私はすべて読んでいる。どうだ」 

といいたいためです。

 

 

学者は自らを権威で飾りたがり、その一手段として、自分たちだけが読み、ほかの人があまり読んでいない古典を読めというのです。

 

 

『徒然草』(岩波文庫)第百五十二段にこんな話が出てきます。

(略)

 

[注釈 ]  腰が曲がり、眉毛まで白くなった西大寺の静然上人が参内した。 それを見た西園寺内大臣が 「ああ、尊いお姿だ」 と感動した。

 

日野資朝という貴族はそれを見て、「あれはただ年を取っただけです」

と言った。そして、高齢で毛も抜け、骨が浮き出ているむく犬を連れてきて、「これも尊く見えるでしょう」 と内大臣に贈った。

 

 

これは古いということをありがたがる愚かさをちくりと刺した話ですが、

「古典を読まない者は読書人にあらず」 といって蔑(さげす)む人は西園寺内大臣のようなものです。

 

 

世の中に害毒を撒き散らしているのにほかならない迷惑千万な人たちです。

「古典」 でもなんでも、読んでみて面白くなければ、さっさと放り出してください。

 

『最強の「国語力」を身につける勉強法』

谷沢永一(たにざわ えいいち 1929~2011)

PHP研究所2009年7月発行・より

 

 

光が丘公園(東京・練馬)にて 4月12日撮影