外文系の文学者というのは、多くの場合、ネタ本は最後に訳すか、あるいはまったく訳さないか、そのどちらかである。
たとえば、森鴎外、鷗外はハルトマン哲学をもって坪内逍遥支配の明治文壇に殴り込みをかけ、
二言目には 「ハルトマン曰く」 と口にしながら坪内逍遥との没理想論争を展開したが、そのときにはハルトマンの翻訳を手掛けようとはせず、
後に、論争が完全に過去のものとなった明治三十一年(一八九八)の段階でようやくハルトマンの主著である 『審美論』 のダイジェスト版 『審美論領』 を訳出した。
しかし、このすぐあと文壇・思想界のトレンドはハルトマンからニーチェに移ってしまったから、鷗外の翻訳はなんの反響も呼ばなかった。
そして、その後、大正、昭和、平成と年号は変われども、海外から新しい思想が入ってくるたびに、これと同じことが正確に繰り返されることになるのである。
マルクス主義にしろ、実存主義にしろ、構造主義にしろ、紹介者を自任する外文系文学者は、ダイジェスト版だけを読んで、思想を理解したつもりになり、主だった思想家の主著を翻訳するという地道な努力はこれを放棄しておいて自らのドーダのために彼らの名前をダンビラのごとく振りかざすのである。
吉本隆明はかつて、こうした外文系文学者にむかって、やたらにレヴィ=ストロース、レヴィ=ストロースと連呼するよりも、早いとこレヴィ=ストロースの大著 『神話論理』 を翻訳してみせろと注文をつけたが、『神話論理』 が完訳されたのは、なんとこの吉本のイチャモンから四十年近くを経た二〇一〇年のことだった。
なぜこういうことになるのか?
自分が紹介している海外の思想家の主著を最初に訳してしまったのでは、外文系文学者としてドーダすることができなくなってしまうからだ。
(略)
だから、ときには、ネタ本を他の外文系の文学者が翻訳しようとすると、
いろいろと手を回してその翻訳をストップさせたり、自分が翻訳するからと称してなかなか翻訳しなかったりすることがあるのだ!
「ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて」
鹿島茂(かしま しげる 1949~)
朝日新聞出版2016年7月発行・より
4月12日 光が丘(東京・練馬)にて撮影 中央の清掃工場の煙突は
解体工事をしていました。