さてここで折口(信夫)の説ですが、
その前に一つ言つて置かなければならないことがある。
柳田(國男)の民俗学には一つ妙な偏向があつて、
それはエロチックな話題を避けようとすることです。
養子なので奥さんに遠慮したからだ、
といふ説を、誰かから聞いたことがあるけれど、まさかねえ。
エロチックな関心を捨てるのは、ほかの学問ならともかく、
民俗学では、ひどく不利な条件だと思ふのですが、
それにもかかはらずあれだけの業績をあげた。
偉とすべきでせう。
などと断るのは、柳田が、胴あげについて知つてゐたにちがひない材料を、わざと使はないでゐるからです。
折口の 『年中行事』 のほうが柳田の 『肩車孝』 より前らしいし、それに『甲子夜話』 にもある話だから、知つてたに決まつてゐるのに、
柳田は話が色つぽくなるので、これに触れなかつたのだと思ひます。
男色者である折口は奥さんがゐないから(かどうかはともかく)平気で書くことができました。
折口の説ではかうなる。
遠い昔、新築祝ひのときは、神を迎へるためにおこなふ室寿(むろほ)ぎの式が終わつたあと、男女が自由に関係した。
これは神が女を犯すといふこころである。(とは書いてないが、さう補ふとわかりやすい。)
すこし下がつて、これも昔、十二月の十三日と正月の十三日は、
神の来臨を迎へたり送つたりするために煤払ひをした。
これは一種の祓除(はらへ)である。
この煤払ひのあとには、男女の自由な関係があった。
乱交ですね、つまり。
そして、
「旧幕時代に、千代田城内や諸藩で行つた煤払ひを見ると、煤払ひが終わつて後、女が男を胴上げしてゐる。此も元は、煤払ひの祭りの夜、新しい神を迎へる用意をし、いよいよ神が来臨すると、室にゐる女を凌した事を示してゐるのである」
この江戸城内の胴上げは、ただし節分の夜の風俗として 『甲子夜話』 にあります。年男が胴上げされたものらしい。
『甲子夜話』 なんて、柳田の愛読書のはずなのに、忘れたふりをしたわけです。
女たちが男を胴上げする情景、あるいはその情景の遠くに蜃気楼のやうに見えるもの(つまり古代の乱交)が厭はしかったのでせうね。
よほど人格が高潔だつたのか、
それとも、気になつて仕方がなかつたのか。(1987「夜明けの乾杯」)
「腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選 1」
丸谷才一(まるや さいいち 1925~2012)
株式会社文芸春秋 2015年1月発行・より
4月12日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影