私が靖國神社を考えるきっかけとなったのは、
1932年(昭和七)年の上智大学事件です。
一九三二年に上智大学の学生が軍隊の訓練で靖國神社参拝を命じられ、これを拒絶した。
上智大学はイエズス会の大学です。
靖國神社参拝の強制が信教にかかわるかどうか、いろいろと議論がなされ、日本の文部省とバチカンの間でも話し合いが持たれました。
結局、足かけ四年くらいの交渉を経て、一九三六(昭和十一)年五月二十六日にバチカンのプロパガンダ・フィーデ(布教聖省)が、「祖国に対するカトリック信者の責務についての訓令(Pluries Instanterque)というものを布告しました。
その訓令によると、「日本のカトリック信者は靖國参拝すべきだ」
となっています。
「してもいい」 ではなくて 「すべきだ」 と書かれているのです。
どういう根拠でその結論が出たかは難しい神学的な理論だけれど、広島にいたドイツ出身のヨハネ・ロス司教が非常に深く 「免罪」 を研究したうえで、日本の憲法とバチカンの教義も研究し、「参拝することが適切だ」 という結論に至りました。
そして、ロス司教は上智大学のヘルマン・ホイヴェルス総長と話し合い、
ホイヴェルス総長が日本の文部大臣と話し合います。
そのなかで、文部省が 「参拝することに宗教的な意味は入っていない。愛国忠君ということだけに意味がある」 と保証した。
それをバチカンは受け止めて研究し、「カトリックの人たちは愛国忠君を尊重するはずだ。それは自然徳だからである」 ということで 「参拝すべきだ」 と認めたのです。
プロパガンダ・フィーデが教皇の権威の下で出した布告は正式のものであり、日本のカトリック教会に留まらず、全世界のカトリック教徒に義務づけられます。
しかも、一九三二年の布告は戦前のものだけれども、戦後に宗教法で神道が一般の宗教に定義された以後の一九五一(昭和二十六)年にも、バチカンは 「祖国に対するカトリック信者の責務についての訓令」 を再布告しました。
したがって、現在も有効性があります。
残念ながら、いま、日本にいる司教たちのほとんどがこれを無視しています。
現代は愛国主義や忠君に対して否定的になっているという時代の変化があるとしても、それはよくありません。
カトリック教会がイギリスの聖公会(Anglican Church)と違っているのは、教皇が司教の上に位置することです。
当然、司教は教皇に服従する義務がある。
だから、私は日本人ではないけれども、日本に来たときは教皇の訓令に従って靖國神社に参拝します。
「日本が気付かない世界一素晴らしい国・日本」
ケビン・M・ドーク(Kevin Michael Doak 1960~)
ワック株式会社 2016年2月発行。より
4月10日 千鳥が淵(東京・千代田区)にて撮影