「コンプライアンス」 も同じである。
外国語を有難がっているのは、勉強しすぎていつも人から点をつけられることに喜びを感じるインテリばかりである。
多くの人は 「なんだか、いかがわしいな。またグローバル・スタンダードのときのようなインチキじゃないか」 という目で見始めた。
それは正しくて、「やたら変な英語を使う人が多くて困る」 という話の実例に、コンプライアンスという話はピッタリである。
これは 「法令遵守」 という日本語になっている。
だが、ほんとうにアメリカ人がそんな意味で使っているのかどうか。
コンプライアンスを字引きで引くと 「黙従」 「従順」 と書いてある。
「周りからの声に無気力に追従する」 という意味である。
その次には 「卑屈」 と書いてある。
そこまで行ってしまう。 だからアメリカ人同士で 「コンプライアンス」 などとは、普通は言わない。
対等な相手に使う言葉ではない。はっきり自分より下部にある組織か、札つきの悪い会社に向かっていう言葉である。
字引でその先を読むと、物理用語で 「外部からの圧力で、内部にひずみができること」 だと書いてある。
なるほど社長が 「コンプライアンスだ、法令遵守だ、みんなやれ」 と言ったら、会社の中がゆがんでしまう(笑)
外ばかり気にして、「我が社はいったい何をするのか」 がどこかへ行ってしまうのである。
部下たちも 「お役所の検査を通りました。これでいいんです」 となってしまう。
お客がいくら怒ってきても 「もう検査は通っています」 でおしまい。
検査が通っていないときはひたすら謝る。
そういう気楽な部下ばかりになってしまうわけで、コンプライアンスなどと上の人は言ってはいけない。
主体性がなくなり、独自性がなくなる。周りに流されるようになる。
「独走する日本 精神から見た現在と未来」
日下公人 (くさか きみんど 昭和5年~)
PHPファクトリー・パブリッシング 2007年11月発行・より
4月10日 千鳥が淵(東京・千代田区)にて撮影