中国語は「文字の言語」 | 人差し指のブログ

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「日本語の真実」

三浦朱門(みうら しゅもん 大正15年~平成29年

株式会社海竜社 2003年1月発行・より

 

 

私たちに密接な関係のあるコトバとしては中国語というものがある。

 

 

橋本萬太郎(はしもとまんたろう)氏は、

『漢民族と中国社会』 という本の中で、こう述べている。

 

 

 

「周(しゅう)の侵入によって、われわれに知られているかぎりでの、第一次の北方語化をこうむったが、

 

その周から十世紀あまりにわたる発展をとげ、

西暦元前後の漢代に確立した漢民族も書きことばは、

 

それ以後二千年近く、

近代にいたるまで漢民族をまとめる不動の書面語となった。

 

 

不動のはずである。文化面だけに限っていえば、

その言語を解することが、または解しようと願うことが、

漢民族たることの一番重要な条件だったのである。」

 

 

また、

「毛沢東の論文の多くは、講演とか会議の報告、

小規模の講義を中心とするいう。

 

だからといって、これを話したままの記録であると思ったら、

大間違いである。

 

漢民族の大きな会議では、報告の全文を先に印刷して配布しておくのは、常識である。

 

大会議だけではない。

 

大学の教室でも、教授は 「講義」 と称するプリントを配布しておいて講ずるのが、常道(じょうどう)であった。

 

 

これはプリントといっても、要旨(ようし)とか図表とかをあつめたものではない。講義の全文の原稿である。

 

 

(中略) なぜ、そんなものができたかというと、

べつに教授先生方が、学生に特別に親切であったからではない。

 

そうしなかったら、コミュニケーションが成立しなかったからである。」

 

 

中国語というのは、まず文字の言語であって、

それが行われる領域内には多くの互いに意思を疎通(そつう)しえない方言があることはよく知られている。

 

 

 

文字一つについて一つの発音があり、それには特定の意味があるから、いかに多くの発音やアクセントを用意しても、

一つの発音でその内容を相手に伝えられるとは限らない。

 

 

そこで二つ以上の文字を組み合わせていわゆる熟語(じゅくご)をつくったりもする。

 

 

このシステムは日本語が後に、西洋文明の諸概念を翻訳する際に大変有に効であった。

 

 

4月10日 千鳥が淵(東京・千代田区)にて撮影