「日本語で生きる幸福」
平川祐弘(ひらかわ すけひろ 1931~)
株式会社 河出書房新社 2014年11月発行・より
たとえば昭和十五年四月、第一高等学校教授でドイツ文学者の竹山道雄は、雑誌 『思想』 に、
「 事 「思考の自由」 といふ一点に関する限り、英仏側が勝てば、少なくもわれらの生きている間位は、これは何らかの形に於て救はれ得る。独逸が勝てば、そんなものはわれらから立ちどころに根底的に奪われるであらう」
というような大胆なナチス・ドイツ批判を発表した。
なぜそれが出来たのであろうか。
まず前提として、日本には他の全体主義国に比べて言論の自由がまだしもあったからである。
竹山の日本軍部批判の原稿の中には、
検閲で没になったものもある。
出版社の自己規制はさらに強かったであろう。
しかし、一九四〇年春の段階でナチス・ドイツ批判が出来たということは、
日本のリベラリズムの名誉のために言っておかねばならない。
昭和十五年、竹山はナチス批判を書いたからといって第一高等学校を追われる心配はまったくなかった。
戦時下の日本でファシズム批判をした河合栄冶郎は別件で執筆を禁じられたが、
河合の本が古本屋や図書館から押収されるようなことはなかった。
次により重要な点だが、なぜ竹山がドイツ文学者でありながらドイツ批判が出来たのか。
一つには、ナチスの悪についての認識があったからである。
文献を通してだけでなく、迫害されるユダヤ系ドイツ知識人を直接知っていたからである。
それから二つには、昭和初年、ヨーロッパへ留学した際、
ドイツだけでなく フランスにも留学し、
ドイツをフランスから見るという視座を有しており、
片山敏彦などと同じく三点測量をすることが出来た出来たからであろう。
2月26日 朝霞市内(埼玉)にて撮影