ハワイを奪ったアメリカ | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「世界は邪悪に満ちている だが、日本は・・・。」

日下公人(くさか きみんど)・高山正之(たかやま まさゆき)

ワック株式会社 2015年12月発行・より

 

 

<高山>     アメリカのハワイ乗っ取りもひどかった。

 

 

<日下>     ハワイの島々には、原住民以外に日本人がたくさん住んでいて、約四十%が日本人だった。それをアメリカは奪おうとした。

 

 

<高山>    ハワイ乗っ取りのときには、女王リリウオカラニを退位させた。

 

乗っ取りをしているのは、だいたい宣教師の息子連中なんですよ。

 

その一人、アルバート・ジャッドはハワイ王国の最高裁長官をやっていた。

 

議会のほうは、アメリカの乗っ取りを支援するサンフォード・ドールなどが牛耳(ぎゅうじ)っていた。

 

 

ハワイはれっきとした王国で、日本もアメリカも公使を派遣していた。

 

その独立国を、ある日突然、アメリカが乗っ取ってしまった。

 

 

一八九三年のことです(ハワイ事変)。

 

ハワイ王国と国交のある日本はびっくりした。一八九三年は日本の年号で言うと明治二十六年で、まだ日清戦争にも勝っていないときだった。

 

 

当時の日本政府が偉かったと思うのは、東洋の小国でしかない日本が軍鑑二隻を出して抗議に行ったことですよ。

 

 

<日下>    浪速(なにわ)っていう軍鑑ね。艦長は若き日の東郷平八郎だ。

 

 

<高山>    あれはすごいですよね。

 

 

アメリカはハワイを併合したんじゃなくて、ボストンという軍鑑をだして無理やり女王を退位させた。

 

ボストンの砲口をイオラニ宮殿に向けさせて、海兵隊が宮殿を取り囲んで退位を迫った。

そうやって乗っ取りをして、ハワイ共和国という名前の国にしてしまった。

 

 

これに敢然(かんぜん)と立ち向かったのが日本です。「お前ら何するんだ」 ということで、日本の軍艦がハワイに行ってアメリカの軍鑑の両側に投錨(とうびょう)した(笑)。

 

 

<日下>    浪速ともう一隻は何でしたっけ。

 

<高山>    金剛です。

 

<日下>    ああ、金剛か。

 

<高山>    浪速は巡洋艦で、金剛はコルベット級。

 

<日下>    詳しいですね(笑)。

 

 

<高山>    ハワイの乗っ取りに抗議するために日本から軍鑑を出して、一度日本に戻って、一年くらいにまた軍鑑を出した。

 

 

二回抗議に言って 「日本は承服しない」 という姿勢を明確に伝えている。当時の日本政府は偉いですよね。

 

 

ちょうど丸一年目にサンフォード・ドールがハワイの大統領になっていて、彼は独立一周年の記念をしたいから日本の軍艦に祝砲をお願いしたいと言ってきた。そのときに、東郷平八郎は 「その要を認めず」 と言って祝砲を拒否した。

 

 

リッチ・バドニックの 『盗まれた王朝』 という本に書いてありました。

 

 

東郷が祝砲を拒否したので、ホノルルの港にいたすべての船がそれにならって祝砲を撃たなかった。消された王朝も喪に服しているかのように港は静まりかえっていたんだそうです。

 

 

それが世界中に打電されてアメリカは大恥をかくわけですよ。

 

「王朝を乗っ取ったアメリカ」 ってね。

 

 

 

 

 

エゴノキの花 5月18日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影