敗れた武将は長命 | 人差し指のブログ

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「努力不要論」

中野信子(なかの のぶこ 1975~)

フォレスト出版株式会社 2014年7月発行・より

 

 

 

徳川家康が、戦国武将としては長命だったということはよく知られている事実でしょう。75歳で亡くなりました。

 

 

 

しかし、じつは家康よりも長生きした戦国武将が何人かいるのです。

 

 

次の人たちです(カッコ内は無くなった年齢)。

 

 

今川氏真(77)、島津義久(79)、武田信虎(81)、宇喜田秀家(84)、松平忠輝(92)

 

 

さて、彼らに共通する点は何でしょうか。

 

 

 

じつは、どの武将も、争いに敗れ、余生を細く長く送った人物なのです。

 

 

今川氏真は家康よりもあとあとまで生きていますし、武田信虎が亡くなったのも、自分を追放した息子・信玄よりあとです。

 

 

彼が信玄に追い落とされなければ、武田は勝頼の代に滅びずに済んだのでは・・・・なんて考えてしまいますが。

 

 

今川氏真は織田信長に殺された今川義元の息子です。武田信玄と徳川家康に挟撃され、今川氏は滅亡しました。その後は北条家に身を寄せたり京で蹴鞠を教えたりしながら生きながらえたそうです。

 

 

島津義久は薩摩の島津家の当主でしたが、豊臣秀吉に敗れ、隠居して息子に家督を譲ります。出家して命を長らえ、亡くなったのは自分を破った秀吉よりもずっとあとの1611年でした。

 

 

 

武田信虎は信玄に追放されたあとは今川家や京都で暮らし、戦乱の表舞台には表れていません。

 

 

 

宇喜田秀家は関ヶ原の合戦で石田三成に味方して敗れ、八丈島に流された人です。八丈島で50年以上、三代将軍・家光よりもあとまで行き延びました。

 

 

 

松平忠輝は家康の六男です。父・家康に嫌われた人で、勝手な振る舞いや暴虐の沙汰がすぎるとして領地が没収され、伊勢、諏訪に流されて禁固生活を送りました。

 

しかしこの人は家康の壮健さを最も受け継いだ人であったのか、四代将軍。家綱が死んだそのあとまで行き延び、92歳で亡くなります。

 

 

こういう例を俯瞰すると、長寿の秘訣は、戦わないこと、無駄な努力をしないことというのがよくわかりますね。

 

 

 

昨年11月20日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影