「人間の浅知恵」
徳岡孝夫 (とくおか たかお 昭和5年~)
株式会社新潮社 2013年8月発行・より
人間二人の名の一致は、世間に珍しいことではない。
だが二組の父子の間に奇妙な偶然の一致があれば、つい気になる。
三島由紀夫(これは筆名。本名は平岡公威)は、息子を威一郎と名付けた。
一方の高級官僚にして政治家であった鳩山威一郎は長男を由紀夫と命名した。ただいま日本の総理大臣である。
由紀夫の子が威一郎と威一郎の子が由紀夫。
それだけの話で、それ以上の不思議はないが、二組の父子の名がクロスした点が妙である。
むろん二組の4人とも、1970年あの市ヶ谷の 「事件」 前に生まれている。
三島由紀夫はバルコニーから演説し、自衛隊員に決起を促した。
鳩山の由紀夫は米軍普天間基地の移設先を決める責任者で、これを書いている時点でまだ移設先は決まっていない。
(略)
三島由紀夫の母も、強い意思を持つ人だった。
姑が幼い頃の公威坊やを独占したため、後年ロスを取り戻したかったのだろう。
漢学者、書家の娘で文学の素養があったから、息子の書いたものをすべて読んだ。
三島作品に出てくる女の衣装の柄は、原稿が編集者に渡るより先に、お母様が読んで、決めた。
鳩山の方の由紀夫のお母様つまり威一郎の妻・安子(87)は、言わずと知れた石橋正二郎の娘である。
久留米の足袋屋から出てブリヂストンを創業した成功者。
生前、石橋の名は松下幸之助を追って常に高額納税者リストの上位にあった。
(2010・1)
11月12日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影