自分と偉人を同一視する | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「忠臣蔵とは何か」

丸谷才一(まるや さいいち 1925~2012)

株式会社講談社 1984年10月発行・より

 

 

これは山崎正和が 『私生活者のための歴史』 (『生存のための表現』所収)のなかで述べてゐることだが、

 『太平記』 の作中人物たちはみな、

たとえば児島高徳が自分を范蠡になぞらへ、

後醍醐天皇が自分を勾践になぞらへるやうに、

「行動の原型を過去の先例のなかに求め」 ながら生きた。

 

 

 

同様に 『太平記』 の作者と受容者もまた、

この種の歴史的アナロジーによりかって、

心のどこかでほのかに、自分と古人と同一視しながら、

辛い人生を何とかしのがうとした。

 

 

 

同時代の事例はみな醜悪であり、約束事は変転きはまりなく、

心のささへ、出処進退のよりどころ、

人間の規範となりにくかったからである。

 

 

 

それゆゑこの戦記には故事が頻出することになる。

 

 

山崎のこの説は 『太平記』 の急所を押へた鋭い指摘だが、

同じことは 『曽我物語』 についても言ひ得るにちがひない。

 

 

 

おそらく南北朝のころからしばらくのあひだ、

人々は動乱のつづく危機の時代を生きてゆくために、

天竺、震旦、本朝の伝説を自分の場合に引寄せ、

重ね合せ、自己を正当化したり、激励したりする、

いはば人生論的な古典主義を奉じてゐたのであらう。

 

 

 

武士や下級僧侶や庶民のこの人生論的な古典主義を笑うことはできない。

 

 

ここは一つエルバ島のナポレオンでゆかうとか、

ひよどり越えのさか落しといふ手だってあるとか、

たとえ冗談半分であらうと、危機に臨んで矮小(わいしょう)な自分を偉大な古人になぞらへ、

 過去を手本にして難局を打開しようと努めるのは、

われわれ現代人もしてゐることだからである。

 

 

 

ピラカンサの赤い実と銀杏 11月12日 光が丘(東京・練馬)にて撮影