「決定版・人物日本史」
渡部昇一(わたなべ しょういち 昭和五年~)
株式会社 育鵬社2016年2月発行・より
秀吉について非常に惜しむべきことは、彼は学がなかったということである。
学問が非常に重要なのは、歳と共に生まれつきの天才は衰えることがあるからである。
そういうときに支えるのが学問なのである。
佐藤一斎がいったように 「少にして学べば、壮にして成すあり。壮にして学べば、老いて衰えず」 ということが確かにあるのだ。
秀吉は天才中の天才であるから、壮の間までは学ぶ必要はなかったかもしれない。
せいぜい参考にしたのは信長くらいのものであった。
ところが、学ばない者は老いて衰えるのである。
そして、学ばずに衰えた者の一番の特徴は、老いて子供が生まれたときに子煩悩な親馬鹿になることである。
(略)
晩年の秀吉を見ると、学問で鍛えることなしに歳を取るということは、
どんな天才にとっても怖いことだなという印象を受ける。
同じ天才でも、アレキサンダー大王にはアリストテレスのような立派な先生がいた。
そのため後継についても 「自分が死んだあとは器量のある者が継げ」 という趣旨の遺言をしている。これと比べると秀吉の晩年は残念であったというしかない。
11月12日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影