東京裁判という私刑(リンチ) | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

 

「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」

加瀬英明/ヘンリー・S・ストークス

祥伝社 2012年8月発行・より

 

 

<加瀬>     東京裁判は司法的にみせかけて、体裁(ていさい)をつくろった私刑(リンチ)だった。

 

 

日本では今日に至るまで、「東京裁判史観」 という言葉が定着している。

 

だが、とうてい史観とすらいえるものではないから、滑稽(こっけい)なことだ。

 

 

 

東京で連合軍が日本の指導者たちを 「侵略戦争」 を計画して、  実行した罪によって裁いていたあいだ、  イギリス軍、フランス軍、オランダ軍が大戦中に日本が解放したインドネシアや、ベトナム、ビルマ、マレーを再び植民地としようとして、  これらの諸国や、地域に対して侵略を働いていた。

 

 

 アメリカが日本に戦争を強いた大きな原因の一つが、人種差別だった。

 

 

昭和天皇は1946(昭和21年)4月に、戦争の原因として、「白色人種の有色人種に対する優越感によって、日本人種が嫌われたことがある」と、側近に語られた。

 

 

 東京裁判の判事の11人のなかで、ラダビノド、パル判事、オランダのバート・V・A・レーリンク判事と、フランスのアンリ・ベルナール判事の3人が、判決に反対する少数意見を提出した。

 

 

もちろん、占領下で3人の反対意見は、公表が禁じられた。

 

 

パル判事は「連合国は極東軍事裁判で、 日本が侵略戦争を行ったことを歴史にとどめることによって、 欧米列強による侵略を正当化し、 日本に過去の罪悪の烙印(らくいん)を押すことが目的だった」と、 断じている。

 

 

レーリンクは、後に著書のなかで、次のように述べている。

 

「私たちは、滞日中、東京をはじめとする都市を爆撃して市民を大量に焼殺したことが、念頭を離れなかった。

 

私たちは国際法を擁護するために裁判をしていたはずなのに、連合国が国際法を徹底的に踏み躙(にじ)ったことを、毎日、見せつけられていたから、それはひどいものだった。

 

もちろん、勝者が敗者を裁くことは不可能だった。

まさに復讐劇だった」

 

「日本はアジアをアジア人の手に取り戻すために戦ったが、日本は軍事力を用いてアジアから西洋の植民地を駆逐する意図は持たなかった。

 

日本の当時の軍事力は、防衛的な性格のものだった」

といって、日本がアメリカによって追い詰められて、開戦を強いられてた経緯を、詳しく説明している。

 

 

レーリンクは 「人種差別が、太平洋戦争の主因の一つだった。

連合国の国民は、 日本人を人間以下とみなすように教育されていた。

 

広島、長崎で数十万を一瞬のうちに焼殺したのも、人間ではないと感じたから、できたのだった」 と述べている。

 

 

日本では人種によって差別することが、歴史を通じてまったくなかったから、

キリスト教圏においてつねに行われてきた、激しい人種差別を理解することが難しい。

 

 

 

11月10日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影