近代以前の日本の学問は、近代以降の学問とは違い、
人間の精神を養うための方法でした。
そしてこれが、支那(チャイナ)の儒教と日本の儒学の決定的な違いでもあります。
支那では四書五経を勉強するのは、
高級官僚になるための手段でした。
ところが、日本では、最初から、
人間社会の普遍的な真実を教えてくれる聖典として、
論語をはじめとする漢籍に向かいました。
つまり、人間学、社会学として勉強していったのです。
漢籍を勉強しても、
支那人(チャイニーズ)について勉強したわけではありませんから、
日本人は支那人について何も知りません。
いまだにまったく解っていないのです。
たとえば、日本人は儒学に基づいて、こちらが誠意を見せれば、相手も同じように応じる、
そうであるから、譲り合うのが美、と考えます。
同じ漢籍を読んでいるなら、
支那人もまったく同じように考えるだろうと思い込む。
しかし、実際のところ、テキストが同じでも、学ぶ態度が異なるため、
違うところに行き着いてしまっているのです。
「知識ゼロからの徒然草入門」
谷沢永一(たにざわ えいいち 1929~2011)
株式会社幻冬舎 2006年12月発行・より
光が丘公園(東京・練馬)のユリノキ(昨年)11月12日撮影
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