谷崎潤一郎は別世界の人 | 人差し指のブログ

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何度か谷崎邸の晩餐に招かれたことがある中でも、忘れられないのは格別に豪華な鯛のご馳走である。

なんでも、鼻の頭に”こぶ”のあるその鯛は鳴門の渦潮を泳いだというもので、谷崎邸の食卓に供される多くの美味の例に洩れず、会ったこともない谷崎崇拝者からの贈り物だった。

日本一のグルメであった谷崎の許には多くの人々からの逸品が寄せられ、彼自身も食材の調達には万全を尽くした。

京都の冬の寒さを逃れて熱海に移った時、口に会うものが何もないと落胆した果てに案出した手だては、毎日、特急「はと」の座席を家事用に確保し、京都駅であちらの誰かが料理を列車に載せ、熱海駅でこちらの誰かがそれを受け取ることだった。


谷崎は別世界の人として認知されていたのである。


福田恆存の記述によれば、終戦直後のごった返す列車の中で、四人掛けの対面座席に谷崎夫妻と夫人の妹が三人で座っていたが、残る一つの空席はいつまで経ってもそのままで、敢えて座ろうとする邪魔者は一人としてなかったのだそうだ。

乗客はそこにいるのが谷崎だと気づいていたわけではなく、また谷崎のほうでも人々を隣に座らせまいとしたわけではあるまい。

混乱を極める車輛の中で、そこにだけ漂う三人の気品が別世界の秩序を保っていたとしか思えない。


 私にはその情景が頭に浮かぶ、着古した軍服や合成繊維の着物をまとった乗客たちとは対照的に、見るからに上等な和服に身を包んだ三人がそれをひけらかすわけでもなく、穏やかな談笑に興じる姿が、時折、谷崎夫人がハンドバッグから小さな菓子を取りだして、夫や妹に渡したりする。

感銘を与えるつもりなど露ほどもないのに、この三人は押し合いへし合いの真ん中で、気品が姿を現したかのように感銘ぶかく際立っている。

その洗練された物腰は、かけがえのない何かが、悲惨な戦争や戦後の窮乏を生き抜いたことの証でもあった。

「思い出の作家たち 谷崎・川端・三島・安部・司馬」
ドナルド・キーン (Donald Keene 1922~)
株式会社新潮社 2005年11月発行・より


光が丘 四季の香公園の薔薇(東京・練馬)5月9日撮影