「ローマ法王の地球二分割」と法然上人 | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

周知のように法王は全世界のキリスト教徒を支配する。法王の前では国王も無力である。

いやそれどころか、一九四三(1494でした・人差し指)年のトルデシリャス条約ではーーアフリカ大陸の西沖合にあるベルデ岬諸島から両極に向かって直線を引き、

その東側は島であろうと大陸であろうとことごとくポルトガルの領有とし、その西側は島であろうと大陸であろうとスペインの領有とすると、

地球を二分割してそれをポルトガルとスペインに分け与えるという無謀極まりない取り決めが行われたが、

いったいだれがそんなことを決めたかといえば、ローマ法王(アレクサンデル六世)であった

日本にはそんなべらぼうな存在はない

天台座主(てんだいざす)といえば、仏教では最高の地位である。皇室を擁護する重大な役目を担った存在だ

しかし天台座主はあくまでも天台宗のボスであって、高野山を支配することはできなかった

奈良を支配することもできない

いわんや全国の末寺に関してはほとんど関係がなかった

これを逆にいえば、日本の宗教は人間の身の丈(たけ)に合っている


ローマ法王のように、地球を二分割してそれを二国に分け与えるなどといった誇大妄想に陥ることはなかった。きわめて人間的なのである

そう考えたとき私は、法然上人がどれだけ進んでいたことかと、讃嘆せずにはいられない

法然は一般衆生、つまりわれわれ庶民の一人ひとりが、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで成佛(じょうぶつ)できると言い出した

すなわち宗教に階級ナシ、である。法王も要らない。枢機卿(すうききょう)も要らない。何も要らない。ただ念佛を唱えるだけでいい。

しかも法然は、この世に遣(つか)わされた阿弥陀如来のお使いとして自分を透明化してみせた。

法然という個性が大事なのではない

法然という体を通して、民衆は阿弥陀如来と直結するといったのである

いまだかつてこんな宗教があっただろうか

仲介者なき宗教ーーこれをずっと延長してゆけば、坊主など必要なくなってしまう。

法然はそれほど先に進んでいた

「日本人が日本人らしさを失ったら生き残れない」
谷沢永一(たにざわ えいいち1929~2011)
ワック株式会社二〇〇六年二月発行・より


楓の紅葉 青葉台公園(埼玉・朝霞市)12月7日撮影
紅葉


楓の紅葉