「なるほど、そうなっているのか」と驚きました。でも、ここまで書いて大丈夫なんでしょうか?
著者は早稲田大学を中退したあと、岩波映画、大島渚プロダクションを経て映像制作会社を主宰したが体を壊し等、して倒産、骨董商を五年やった後、今は足を洗い隠遁生活をしているそうです。
「還暦すぎて始めた骨董露天商という生き方」
山崎佑次(やまざき ゆうじ1942~)
株式会社宝島社2010年7月発行・より
136頁~同時に西陣露天商組合に入会させられた(略)
露天商組合に入ったのはよいとして、組合員としての義務はあるのかどうか、あるとしたらどういうことなのか、組合員になったことで自動的にテキヤ集団の一員になるのかどうか、そのあたりがシロウトにはよくわからない。
幸いというか偶然というか、お隣のオジサンが詳しかった。いつもニコニコ皆は「円満さん」と慕っている。
「組合員って何か義務とかありますの?」
「会費取られるだけ」
「会費?」
「親睦が名目やけどヤー公が持っていきよるだけ。ここの大本(おおもと)はヤー公やねん。まあいうたら上納金。上納金。わかるやろ」
「ショバ代のほかにそんなん要りまんのか、聞いてなかったですわ」
「アホみたいなハナシやけどな、いや俺もむかしはその筋やったんや。親方が止(や)めたから子方も止めた。それから露天一筋二十年。今日親方来よるやろ。紹介したろか」
145頁~京都珍品展。ここを仕切る三代目といわれるオヤッサン扱いのコマにブースを借りることになった。三代目は山口組系の枝の親分で、同時にテキヤ稼業も営んでおられる。
七十歳をすぎ、でっぷりと太った躯からはオーラのようなものを放出している
174頁~福山市産業会館。その一階の大きなイベントホールが福山骨董祭の会場だ。
義兄が住む尾道から近く、泊めてもらえたのでホテル代がかからず、その点も都合がよかった
露天商の世界は棲み分けがはっきりしており、わたしのようなシロウトはどこの骨董祭にも出店できるが、リュウちゃんのように他の系列の内側にいる人は他の系列ではショウバイできない
筋目はくつがえせない。福山の骨董祭を仕切るのは中国・四国にナワバリをもつ御仁で、京都のナントカという親方と兄弟分にあたり、リュウちゃんはそのナントカ親分から
「景気づけにちょっと行ってきたれや」といわれたらしい
寺や神社の場合は露天を仕切る親方衆の上にヤクザが座る。
それが中世からつづく伝統であり、おそらく警護や祭礼の準備を請けてきた人々がいまのヤクザ一家につながるのだろう
持ちつ持たれつ。寺も仁義を重んじているのである
が、ここは近代産業の拠点でありヤクザが仕切るわけではないが、それでも、主催者はその筋のおかたである
184頁~東寺は毎月二十一日の弘法市が名高いが、その日は買い物客よりも観光客で押すな押すなの大にぎわい、業者は午前五時までにショバに荷物を降ろし、クルマを市内の駐車場まで移動させねばならない。
まず、午前五時に到着するなんて朝寝坊のわたしにはとてもできることではない。そこでガラクタ市に出店させてもらうことになった
このシマを仕切るのは京都で老舗の組である。ある裁判で親分を見たことがあるが、大きな躯、引きしまった顔、思慮深そうな目が印象的だった。
山口組と東京の巨大組織が一戦をまじえようとしたとき、仲裁に入ったのがその親分で情と理と義をわきまえた裁定はいまも語り草になっている
そのためかどうかわからないが、ここでのショバ代はいったん寺に全納するのだという。世話役はテキヤ組織(東寺会)と杉一さんのようなベテランである
楓の紅葉、 青葉台公園(埼玉・朝霞市)上は12月4日下の二枚は1日の撮影。
写真の加工はしていません、コンパクトカメラで撮影した画像を縮小して載せているだけです