参考資料3135 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ペストの治療で博士になり、ペストで妻子を失う
「予言者として歴史に名を残している人の多くは、伝説化されたり神格化されたりして、その実像がはっきりしないのが常である。ノストラダムスの場合も数奇な運命をたどったひとりであり、謎の部分ともいえる”放浪の時代”をすごしているが、その出生や晩年に関しては比較的はっきりしている。
 ミッシェル・ノストラダムス(実名はノートルダム)は、1503年12月14日、南仏プロヴァンスのサン・レミという町で生まれた(出生日が12月23日という説があるのはグレゴリオ暦)。彼の祖父はフランスに帰化したユダヤ人の穀物商で、祖母はユダヤ人ではなかったが、母はまたユダヤ人の娘だった。父は裕福な医師だったが、彼は幼年時代、母方の祖父であるユダヤ人の医師にかわいがられて育ったという。つまりノストラダムスにはユダヤ人の血が濃く混じっており、しかもユダヤ人としての教育を受けたわけで、このことは”予言者”としてのノストラダムスに深いかかわりをもっている。
 ユダヤ人である母方の祖父は、頭のいいノストラダムスをかわいがり、幼少時からヘブライ語やラテン語を教え、占星術の手ほどきをした。彼ははじめ祖父のすすめでアビニヨン大学へ留学するが、のちに当時の一流大学であるモンペリエ大学の医学部へ転学した。そのころのアビニヨンにはユダヤ人がたくさん居住しており、ノストラダムスはそこでもグノーシス派(神秘哲学を継承するユダヤ教の一派)の学問に接し、占星術や錬金術の知識を深めたようである。しかし当時はキリスト教による他宗教への弾圧がきびしい時代であり、異端者として教会から迫害されるのをおそれた彼の両親が、異端審問の影響のおよばないモンペリエ大学へ転学させたのである。
 ノストラダムスが大学を出て医師の免許を得たころ、南フランスにはペストが大流行していた。しかもペストの治療にさじを投げた医師たちは、自分が感染するのをおそれて逃げ出す始末であった。一人前の医師となったノストラダムスは、ペストに挑戦するため単身で南フランスへおもむいた。そして四年間にわたり、彼はペストの治療と防疫に献身し、輝かしい成果をあげたといわれている。しかし彼がどのような治療法を用いたかは明確ではない。おそらく正統的な医学ではなく”占星医学”の知識を応用したという説が有力である。というのは彼はその後、ペスト治療の実績を報告して学位を得るためモンペリエ大学に戻ったが、大学側はノストラダムスの治療法を正当には評価しなかった。医学博士の学位を授けられ講師にもなったが、一年間で追放されてしまったのである。
 その後、彼はアジャンという町で、医師であり占星術師でもあったスカリゲルの知遇を得てその地に逗留し、そこで最初の結婚をする。妻はアドリエット・ド・ルーブジャックという良家の娘で、そこで二人の息子までもうけた。ところが皮肉なことに、ふたたび猛威をふるいはじめたペストがこの町にも侵入し、愛妻と息子たちの命を奪ってしまったのだ。ペストの治療法で学位を得たノストラダムスも、家族を救うことはできなかったわけだ。
 妻子を失い、スカリゲルとの仲も冷却しはじめた30歳のノストラダムスは、そのころいっそうきびしさを増していた異端審問所の目から逃れるためにも、アジャンの町を脱出せざるをえなかった。こうして彼はふたたび放浪の旅へ出ることになった。
 ノストラダムスのその後の十数年間、つまり30代の時期は”放浪の時代”といわれ、どこで何をしていたのか研究家にもその足どりはつかめていない。おそらくヨーロッパじゅうを遍歴し、占星術や魔術の修行につとめたにちがいないとされている。そしてこの間に”カバラの秘法”を伝える秘密結社とも接触し、古代から伝わる秘法を学んだともいわれている。」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流 智明監修より

感想
>ミッシェル・ノストラダムス(実名はノートルダム)

ノストラダムスはフランス人だが、「ノートルダム」はフランス語読みで「ノストラダムス」はラテン語読みである。

「フランス語名は、ミシェル・ド・ノートルダム (Michel de Nostredame) で、よく知られるノストラダムスの名は、姓をラテン語風に綴ったものである。しばしば、「ミシェル・ド・ノストラダムス」と表記されることもあるが、後述するように適切なものではない。」
「ノストラダムス」ウィキペディアより

>つまりノストラダムスにはユダヤ人の血が濃く混じっており、しかもユダヤ人としての教育を受けたわけで、このことは”予言者”としてのノストラダムスに深いかかわりをもっている。

昔、五島勉氏の本でも似たような事を読んだ事があるが、ネットをやるようになってこれは嘘らしいと考え直した。

「ノストラダムスはユダヤ人とされることもあるが、上記の通り、父方の祖父の代に改宗が行われている。また、父方の祖母ブランシュもキリスト教徒である。

母方については不明な点も多いが、曽祖父がキリスト教徒であったことは確かである。母レニエールもキリスト教徒であったと推測されているので、ノストラダムスはユダヤ人の定義には当てはまらない。

一部には、彼の一族は表向きキリスト教徒であったに過ぎず、実際にはユダヤ教の信仰を捨てていなかったと主張する者や、彼の一族がユダヤ教の秘儀に通暁していたなどとする者もいるが、これらは史料的な裏付けを持たない。少なくともノストラダムス本人は、公刊された文献等では王党派カトリック信徒の姿勢を示しており、著書の一つである『1562年向けの暦』もピウス4世に捧げられたものである。また、秘書を務めたこともあるジャン=エメ・ド・シャヴィニーも、ノストラダムスは生前熱心なカトリック信徒で、それと異なる信仰を強く非難していたと述べていた。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9#%E5%87%BA%E8%87%AA

>また、秘書を務めたこともあるジャン=エメ・ド・シャヴィニーも、ノストラダムスは生前熱心なカトリック信徒で、それと異なる信仰を強く非難していたと述べていた。

しかし、こういう発言はうっかり信じてしまいそうになるね。ノストラダムスは、他人を批判するような人物ではないようである。

「他方で、ルター派の顧客などと交わしていた私信の中では、プロテスタントに好意的な姿勢を示していたことも明らかになっている。ジェイムズ・ランディのように、カトリック信徒としての姿勢はあくまで表面的なもので、実際にはプロテスタントであったと見なす者もいるが、むしろ相手の立場に応じて言葉を使い分けていた可能性を指摘する者もいる。また、かつて渡辺一夫は、ノストラダムスのキリスト教信仰が、正統や異端に拘泥しない「超異端」の立場であった可能性を示唆していた。」
(引用元は上と同じ。)

個人的には、真の「選ばれし者」で未来が見えていたので、そんなつまらない事には興味がなかったと考えている。

「しかしそのような予言は、永遠不変の至高の支配力であった聖霊の口から生じました。天上と共に結合された(支配力)。その多数の中のある人達が重大で驚嘆すべき出来事を予言しました。その場所での私、私はそのような称号を全く我が物としません。とんでもない、私は全ては神から来るという事をきちんと告白します。そして(私は)彼に神の恩恵、名誉、そして不滅の功績を返します。」 
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10637020959.html

「34.しかしながら、そうした預言は至高にして永遠の力である聖霊の口から発せられたものでしたし、その力が、天と、その大事件や驚嘆すべき事件を予言した幾人かとを結び付けたのです。
35.私はといえば、この状況では何一つとして称号を自分のものとしたいとは思いません。(そのようなことは)神が到底お喜びにならないのです。私ははっきりと全てが神に由来することを告白しますし、神に感謝、尊敬、不滅の称賛を捧げます。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2650.html

むしろ、ヒトラーのように「終わりの時」への転生とかに興味があったのではないだろうか。

伝説
「さらに1988年に『1566年向けの暦』が復刻されると、驚くべきことが明らかになった。暦書のカレンダーには1日ごとに簡潔な予言が添えられているのだが、その7月1日の項目には「不思議な転生」(Estrange transmigration)と書かれていたのである。これは自分の死期を予見していた証拠ではなかろうか。
 彼の遺体は遺言に従ってサロンのサン=フランソワ教会の壁に埋葬された。
 なお、彼の遺体は今も立ったままの姿勢で眠っている。死してもなお、予言者として人類の行く末を見守り続けているのである。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11937498746.html

念のため、「死の予言」を信じている訳ではないのは、前回から分かるだろう。

「因みに、ノストラダムスが死んだのが1566年で私が生まれたのが1966年2月17日で「このように、ノストラダムスは、聖数17を織り込んだメッセージを作るために・・・」で転生したとか全く思わない。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12846492910.html

補足
「私が予言研究者として強い興味を持つのは、二人が私室にこもった死の直前の「空白」の一時間半だ。
 ヒトラーの最後の言葉と考え合わせると、この「直前の空白」のあいだに、当然、ナチスを滅ぼさず甦らせるための、何かの「秘儀」が行なわれたはずなのだ。」
「1999年以後」五島勉著より

ただし、私はヒトラーは黒魔術の秘法か何かは知らないが、「小羊の婚姻」を象って未来に二人で転生しようと儀式でもしていたのではないかと考えている。きっと、自分が「ほふられた小羊」だとでも思っていたのだろう。でも違うと分かったから。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12590740007.html

そこで、以前から理不尽に思っていた「2倍の刑罰」を考えよう。

「1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。
3 呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。」
「イザヤ書」第40章1節~3節(口語訳)

「ISA40:01慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。
ISA40:02エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。
ISA40:03呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」
「イザヤ書」第40章1節~3節(新共同訳)

救世主は、意味不明の「2倍の刑罰」を受ける訳だが、これは前世の罪も一身に引き受けるという事なのではないだろうか。そう考えると、「イザヤ書」第53章の理不尽さも納得出来る。

「1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
                     (中略)
9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。」
「イザヤ書」第53章1節~5節,9節~10節(口語訳)

毎回述べるが、イエスは「病を負って」はいないし、誰も「神に苦しめられた」とは思っていないだろう。つまり、従来のクリスチャンが言うようなイエスの磔刑の話(予言)ではないのである。9節から嘘もつかないような人物である。全て筒抜けで嘘もつけないのかもしれない。

「3.だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。」
「ルカによる福音書」第12章2節~3節(口語訳)

「12:03だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
「ルカによる福音書」第12章2節~3節(新共同訳)

インターネット時代に「終わりの時」が来る予言だろう。

おまけ