参考資料3120 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

セザールとイスラエル その3
「では、預言の封印がとかれ、予言の真意が公開されるのは、いつ、誰によって行われるのであろうか。
 この謎をとく鍵は、ここに出てくる二つの日付、「千二百九十日」と「千三百三十五日」に隠されている。
 これは何をあらわしているのだろうか。
 私も、これは、空中携挙(ラプチャー)の日時の予言ではないか、とか、その差、四十五日は義人がUFOの中で待機している期間で、その間に地上の悪人が処分されるのではないか、などと考えていた。悪人どもを処分した後に、天使と義人が地上に降りてきて地上天国を建設していくのではないか、とも考えたのだが、今回は、地上天国の実現はとても無理である。
 それに、いつから数えて千二百九十日なのだろうか。このへんがよくわからなかった。
 もし、私が本当に諸世紀と聖書の解読者であるなら、この謎もとけるはずである。諸世紀や聖書の預言でも、インスピレーションみたいなものがひらめいて、その預言の真意がわかってしまうことがよくあった。まるで、誰かがテレパシーで導き、教えてくれているような気がするのだった。
 それで、この二つの日付の真意を知りたい、と強く思い、念じている時だった。この二つの日付の差の四十五日が、審判の時とされている一九九九年に私が達する年齢に近いような気がしたのである。
 それで、電卓を持ってきて、なにげなく、私の生年である一九五六から一二九〇を引いてみたのである。電卓の表示盤に示された数字を見た瞬間、私は思わず「あっ」と叫び、次の瞬間、背筋に冷たい戦慄が走った。
 表示盤には、666という数字が出されていたのである。666とは黙示録に出てくる獣の数字、反キリストの数字ではないか。
 この時に、私はこの二つの数字の謎がとけたのだった。
「憎むべき荒廃をもたらすもの」とは、悪魔であり反キリストでもある”獣”ではないか。
 イエスは「憎むべき荒廃をもたらす者が、聖なる場所に立つ」と語った。これを「反キリストである一人の地球人がモリヤ山の聖なる場所に立つ」と解釈する人が多いようだが、そうだろうか。これは、「憎むべき悪魔的宇宙人が、神が地上天国を建設するために造った聖なる惑星である地球を乗っ取り支配してしまう」という意味ではないのだろうか。
 では、ダニエル書のもう一つの日付、「一三三五日」についてはどうだろうか。
「日」を「年」に直し、スタートの年は六六六年だった。六六六年に一三三五年を加えると、答えは「二〇〇一年」になる。
 二〇〇一年とは二十一世紀の始まりの年であり、本来は神の王国が建設されるべき年である。元史においては、一九九九年にスペース・コロニーの陰謀による核戦争と電磁波攻撃があり、二〇〇〇年の五月に、ポール・シフトがあった。つまり、二〇〇一年という年をここにもってきたのは「核戦争もポール・シフトも終わって(なくなって)」という意味だったのである。
 ダニエル書の「日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである」という言葉は、「旧い契約であるモーセによる出エジプトになぞられる元史の地球破壊が悪魔的宇宙人により中止され、聖なる惑星である地球に憎むべき悪魔的宇宙人の政権が立てられてしまった。その獣の数字である666に1290を加えた1956年に予言を解読する者が生まれる。その者により予言の真意を悟り、天使の到来と救済を待ち望み、天使に携挙されて、666に1335を加えた2001年に天使と共にいる者はまことに幸いである。永遠の祝福にあずかれるのである」という意味である。」
「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言(下)」浅利幸彦著より

感想
>もし、私が本当に諸世紀と聖書の解読者であるなら、この謎もとけるはずである。諸世紀や聖書の預言でも、インスピレーションみたいなものがひらめいて、その預言の真意がわかってしまうことがよくあった。まるで、誰かがテレパシーで導き、教えてくれているような気がするのだった。

麻原彰晃とそっくりである。麻原彰晃も一種の選ばれし者だったのだろう。

弟子「実際に解読するに当たって、苦労されたことはありましたか。」
麻原「解釈はすべてやさしい。しかし、裏付けが難しく、時間がかかったね。もう、解き方としてはポンポン解けていったわけだから。もちろん「666の謎」とか、一般的に難しいと言われている部分については、二、三日は要したけどね。それに、綿密な証明のために、聖書も日本語訳の一冊だけでなく、英訳や原文に近いものまで当たり、その英文の中に書かれている、亜流ではこうだとか、一説ではこうだとかいうものまで全部洗ったね。それだけではなくて、ヘブライ語、あるいはギリシャ語と英語を対比して作られた聖書なども使ったね。そして、「666の謎」の解読などでもわかるように、単なるインスピレーションだけではなく、ジュニアーナ・ヨーガのようなプロセスがあったといえるね。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11587300215.html

「『ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。』
さあ、この私もこの数字を解かなければならないときが来た。英語版の『ヨハネの黙示録』では、“reckon the number”と書かれている。計算して解けということだ。しかし、どのように計算して?数字はたった一つ666しかない。私は一人だけの力では如何ともしがたいと感じた。そこでシヴァ神に祈り、瞑想に入ったのだった。「グル、シヴァ神よ、私は今この数字の解き方がわからずに困っています。どうかお力を貸してください。」
すると、「素因数分解」―――、シヴァ神は私に一言「素因数分解」というヒントを与えてくださったのである。」
引用元は上と同じ。

因みに、私はこの数字はソロモンに起因していると考えているが、私より30年も前に浅利氏がその事について書いていた。一応、私の説から挙げておこう。

「因みに、麻原彰晃がこの文章を書いたのは1988年である。もっとも、616は最古の写本がそうなっているだけで原本は分からない。個人的には、666だと考えている。
その理由は、そもそも「ヨハネの黙示録」には多くの矛盾があり、当時の神学者の旧約聖書からの寄せ集めを変化させて創作したものだと考えている。
そして、旧約聖書の「列王記上」第10章14節に「さて一年の間にソロモンのところに、はいってきた金の目方は六百六十六タラントであった。」とあり、ソロモンといえば「知恵の王」だからである。つまり、「知恵が必要である」と言って解答が「知恵者」という事だろう。
つまり、「ヨハネの黙示録」の作者が知識自慢の問題を作ったという事である。因みに、「歴代誌下」第9章13節にも「 さて一年の間にソロモンの所にはいって来た金の目方は六百六十六タラントであった。」とある。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12831069049.html

「さて、ソロモンというとイスラエル統一王国の第三代の王で、その統治中に王国の領土は最大になり、ソロモンは賢く、ソロモンの知恵と讃えられた。とても、反キリストとは思えないようだが、ソロモンは途中で神の教えに背き、過ちを犯した。そのため、ソロモンの死後、王国は南北に分裂し、やがて滅亡してゆくのである。
 そして、ソロモンに関して次の記述がある。

ソロモンの歳入は金六百六十六キカル(列王記上一〇の14)

 六六六とは獣、反キリストを象徴する数字ではないか。さらに、ソロモンは紀元前九六六年頃、神殿の建築を始めたのである。数字の6と9は逆さにすると同じだから交換できると考えられる。すると、966と666は同じになり、ソロモンの反キリスト性を暗示しているように思われる。
 そして、ソロモンは晩年には神に背いたのである。

 彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。(中略)
 ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。(列王記上一一の3~10)

 このように、ダビデはキリストをあらわし、ソロモンは反キリストをあらわしているのである。
「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言(上)」浅利幸彦著より

因みに、麻原彰晃には愛人が100人いたそうである。https://dot.asahi.com/articles/-/43685?page=2

>それで、電卓を持ってきて、なにげなく、私の生年である一九五六から一二九〇を引いてみたのである。電卓の表示盤に示された数字を見た瞬間、私は思わず「あっ」と叫び、次の瞬間、背筋に冷たい戦慄が走った。
 表示盤には、666という数字が出されていたのである。666とは黙示録に出てくる獣の数字、反キリストの数字ではないか。

浅利氏が「地からの獣」の可能性も0ではない。

「11 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
12 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
13 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
14 さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」
「ヨハネの黙示録」第13章11節~18節(口語訳)

何を信じるかはあなた次第だろう。(人は信じたいものを信じるだけである。真実かどうかよりも。)

>「憎むべき荒廃をもたらすもの」とは、悪魔であり反キリストでもある”獣”ではないか。

私は「憎むべきもの」と「荒廃をもたらすもの」は別のものだと考えている。その理由は、

「24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
26 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
27 彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。」
「ダニエル書」第9章24節~27節(口語訳)

「憎むべき者」とは「きたるべき君の民」で「荒す者」は「反キリスト一派」なのではないだろうか。一応、新共同訳でも挙げておこう。

「09:24お前の民と聖なる都に対して
七十週が定められている。それが過ぎると逆らいは終わり
罪は封じられ、不義は償われる。とこしえの正義が到来し
幻と預言は封じられ
最も聖なる者に油が注がれる。 09:25これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての
御言葉が出されてから
油注がれた君の到来まで
七週あり、また、六十二週あって
危機のうちに広場と堀は再建される。 09:26その六十二週のあと油注がれた者は
不当に断たれ
都と聖所は
次に来る指導者の民によって荒らされる。その終わりには洪水があり
終わりまで戦いが続き
荒廃は避けられない。 09:27彼は一週の間、多くの者と同盟を固め
半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」」
「ダニエル書」第9章24節~27節(新共同訳)

ただし、新共同訳の方の訳では、そういう解釈にはならないね。むしろ、「ゼカリヤ書」の理不尽と共通する。

「7 万軍の主は言われる、「つるぎよ、立ち上がってわが牧者を攻めよ。わたしの次に立つ人を攻めよ。牧者を撃て、その羊は散る。わたしは手をかえして、小さい者どもを攻める。
8 主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。
9 わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。」
「ゼカリヤ書」第13章7節~9節(口語訳)

結局、予言(預言)とは、そういうものなのだろう。その場になってみないとよく分からないという事である。目的が、二極分化のためだからだろう。

「第五の五百歳のとき、悪鬼の身に入れる大僧等、国中に充満せん。そのときに智人一人出現せん。かの悪鬼の入れる大僧等、ときの王・臣・万民等を語らいて、悪口罵詈、杖木瓦礫、梵帝・日月・四天等に申しくだされ、その時天変地妖盛んなるべし。
 国主等、そのいさめを用いずば、鄰国に仰せつけて、彼々の国々の悪王・悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし。
 そのとき、日月所照の四天下の一切衆生、あるいは国を惜しみ、あるいは身を惜しむゆえに、一切の仏菩薩に祈りをかくとも験なくば、かの憎みつる一の小僧を信じて、無量の大僧等・八方の大王等・一切の万民、みな頭を地につけ、掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱うべし。例せば神力品の十神力のとき、十方世界の一切衆生、一人もなく娑婆世界に向って大音声を発ちて、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏と一同に叫びしがごとし。」
「日蓮の予言」アポカリプス21研究会著より

補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12828211582.html

おまけ