参考資料3116 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

《霊界と人間界》
「霊界から見ると、光の子とは天界(天国)から来た人間であり、闇の子とは地獄から来た人間であるといえよう。誰しも自分の理想は霊界にある。従って、天国から来た人間は地球を天国にしようとし、地獄から来た人間は地球を地獄にしようとしている。
 霊界は天国と地獄に、あるいは何段階にも分裂していて各界の間には交流がない。そこで、天国と地獄の住民が交流して、情報交換をする場として地球、物質界、人間界があるのである。
 あるいは道徳論抜きでこう考えてもよい。分裂している状態は不安定である。分裂しているもの、エネルギーに差のあるものは混じり合って均一な状態になろうとする。エントロピーの法則である。
 霊界も分裂していて不安定である。そこで霊界も混じり合ってただ一つの霊界になろうとする。この、霊界が混じり合っている部分が物質界、人間界であると考えるのである。人間界も霊界の一部であり、霊魂が天国あるいは地獄からちょっと遊びにきているにすぎないのである。
 そして、霊魂が交流しているうちにお互いに影響し合って波動が合ってきて、とうとうすべての魂の波動が同一、均一になってしまったらどうだろう。もう天国も地獄もない。いや、霊界と人間界もない。ただ一つの世界しかないではないか。天国と地獄、霊界と人間界の合体、統合である。そうなったら輪廻転生もなくなる。輪廻転生は霊界と人間界が分離していたからこそ起きていたのである。すべての人間が解脱してしまえば霊界も人間界もない。
 ただ、問題はどこで統一するかである。天国で統一するのか、地獄で統一するのか、それとも平均的な中間で統一するのかで、その後の世界は決まってしまう。
 そして、これもまた果てしなく難しい問題であり、統一は起こりがたいことである。だが、時間は永遠無限にある。あせらずに飽きるまで議論し、体験するがいい。
 そしてここに神と人間の最大の問題と矛盾がある。
 人間は自分と違う性格、違う波動の人間とは衝突し、いがみ合う。波動の合わない人間とは付き合えない。一方、波動の合う人間といると落ち着くし、安心できる。
 ところが、波動の合う人間ばかりだと、やがて退屈してきてあきてしまう。刺激、変化が欲しくなってくる。
 ストレスはたまりすぎてもいけないが、まったくストレスがないとだれてしまう。適度なストレスは生活を活性化する。
 全人類が同一波動になってしまったらストレス0になり、あきてしまうのではないだろうか。かといって波動が分裂していたら霊界と人間界の統一はない。
「うーん、困った。どうしよう」
 何かいい解決策はないのだろうか。このアンビバレンスの解消を求めて神と人間は揺れ動く。この決着は永遠につかないのだろうか。いや、つかないほうがいいのかもしれない。決着がつかないからこそ歴史は続く。決着がついてしまったら歴史は終わってしまう。
 だが、エントロピーの法則は厳然と存在する。宇宙はエントロピーが増大する方向へと進む。神=人類はそうはさせまいとする。そう、神と人類はエントロピーを食って生きているのである。神と人類がエントロピーを食っているからこそ宇宙は存続する。
 もし、神と人類がエントロピーを食べるのをやめてしまったら宇宙はエントロピーが極限まで増大して、この宇宙そのものが死滅してしまう。宇宙の死滅とは宇宙の中でエネルギーの差がなくなってしまい、熱交換、エネルギー交換が0になる状態である。星は輝かず生命もない、変化もない。なまぬるい死、宇宙の熱的死(ヒート・デス)である。
 ただし、物質はあるからブラック・ホールによる消滅とは違う。
 あなたはヒート・デス消滅とブラック・ホール消滅とどちらを選びますか。それとも・・・」
「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言(下)」浅利幸彦著より

感想
>そして、霊魂が交流しているうちにお互いに影響し合って波動が合ってきて、とうとうすべての魂の波動が同一、均一になってしまったらどうだろう。もう天国も地獄もない。いや、霊界と人間界もない。ただ一つの世界しかないではないか。天国と地獄、霊界と人間界の合体、統合である。そうなったら輪廻転生もなくなる。輪廻転生は霊界と人間界が分離していたからこそ起きていたのである。すべての人間が解脱してしまえば霊界も人間界もない。
 ただ、問題はどこで統一するかである。天国で統一するのか、地獄で統一するのか、それとも平均的な中間で統一するのかで、その後の世界は決まってしまう。
 そして、これもまた果てしなく難しい問題であり、統一は起こりがたいことである。だが、時間は永遠無限にある。あせらずに飽きるまで議論し、体験するがいい。

念のため、「神の計画」とは地上天国を建設する事である。

「10 わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。
11 わたしは東から猛禽を招き、遠い国からわが計りごとを行う人を招く。わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う。」
「イザヤ書」第46章10節~11節(口語訳)

「46:10わたしは初めから既に、先のことを告げ
まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り
わたしは望むことをすべて実行する。
46:11東から猛禽を呼び出し
遠い国からわたしの計画に従う者を呼ぶ。わたしは語ったことを必ず実現させ
形づくったことを必ず完成させる。」
「イザヤ書」第46章10節~11節(新共同訳)

「神の計画」には実行者がいるのである。それは、ノストラダムスの詩にもある。

1巻48番の詩
Vingt ans du regne de la lune passés
Sept mil ans autre tiendra sa monarchie:
Quand le soleil prendra ses iours lassés
Lors accomplir & mine ma prophetie.
月の君臨の20年が過ぎ去った
七千年、別の者がその王政を保つだろう
太陽がうんざりさせられる日々を受け入れる(理解する)だろう時
その時(彼は)私の予言を実現させ終わらせる。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12781914265.html

「義の教師」こそが聖なる預言を成就させる
「クムラン宗団は、自分たちが生きている時代に預言の成就はない、と覚悟を決めていたようだ。かと言って預言の存在を決して否定してはいない。いや、彼らは、贖罪の時代の到来を告げる預言全体の“刷新”さえも熱望していた。だからこそ、彼らは、『旧約聖書』に記された預言の数々を連綿と守り続けたのである。
 一見すると、彼らの行動は矛盾しているようだが、『旧約聖書』の預言が成就してこそ新しい預言が示され、贖罪の時代を経て救世主が現われる、というパラダイムを視点にすえるなら、なんの矛盾もない。
 当時の主流派ユダヤ教徒たちは、救世主となるべき資質を備えた預言者の出現を待つという風潮の中で生きていた。が、クムラン宗団は、現存する預言者「義の教師」こそがこれまでの優れた預言者の資質すべてを踏襲した人物であるととらえていた。
 そこで彼らは、「義の教師」が語る聖なる預言を成就させるのは、自分たちをおいてほかにないと確信していた。
 加えて、クムラン宗団は、独自の“預言要綱”とも呼ぶべき文書を用意していた。それをコミュニティーに広く浸透させたのが「義の教師」である。クムラン宗団は、自然の流れとして、グループの指導者である「義の教師」を預言の体現者としてとらえた。
 かくて「義の教師」は、救世主出現という民族全体を貫くテーマに、預言的要素を加えた終末思想を説くにいたる。
『旧約聖書』の「ハバクク書」には、預言者である書き手が神託の預言をうけたとある。「義の教師」には、神の預言を解釈する特別な能力が備わっているというわけだ。つまりクムラン宗団がめざしたのは、『旧約聖書』に示された預言を、「義の教師」の解釈によって具体化し、その解釈を絶対的とすることだった。
 預言の絶対的な内容は、神の言葉の通訳である「義の教師」によって解釈され、それが広められ、来るべき時代の青写真とされたのである。
 紀元前四世紀ころから、クムランの預言書は黙示録的要素を徐々に強めている。
 終末思想的預言が集中しているのも、この部分である。
 いわゆる『死海文書』と呼ばれるものには、「預言者の手による書」と「詩篇」が含まれている。それらは、『旧約聖書』のダニエル書の影響を強くうけている。またダニエル書は、預言に隠された歴史的要素を再現する際の指標とされた。
 歴史的要素とは、時代の推移、つまり「終わりの時がいつ訪れるのか」という疑問に集約される。
 クムランの詩篇に見る終末思想は、神が定めた時代の枠組みに人間がどうかかわるかを見据えている。
 ゆえに、『死海文書』は、『旧約聖書』に示された“世代(時代)”の区分を一つひとつ明らかにしながら、人類創世以前の時代から始まり、来るべき時代の展望を含めた形で、終わりの時の訪れまでを連綿と綴るのである。」
「封印された《死海文書》の秘密」K.v.プフェッテンバッハ著より

>またダニエル書は、預言に隠された歴史的要素を再現する際の指標とされた。

「ダニエル書」からも「義の教師」を推理しよう。

「1 その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
3 賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。」
「ダニエル書」第12章1節~3節(口語訳)

「12:01その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く
国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう
お前の民、あの書に記された人々は。 12:02多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り
ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。 12:03目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。 」
「ダニエル書」第12章1節~3節(新共同訳)

この「ミカエル」が「真理の御霊」(契約の使者)である。その根拠は、「再臨するイエス」は「神」として「最期の審判」の時に来るだけだからである。
因みに、五島勉氏によると、

「そしてこの中から、「ミカエル」をめぐる驚異のつながりも引き出されてくるのである。
 それによると、ミカエルはまず、「御帰る」(聖なる民族がそのルーツに帰る)という古代日本語と共通。また「見返る」(振る返る→みつめ直す→これまでの価値と違う別の価値に気づく)とも共通。
 さらに「身変える」(変身する→これまでの人間と違うものに変わる→精神的または肉体的に超人化する)。この古神道の秘語ともミカエルは共通しているのだと・・・・。
 もしそうなら、「終わりの日、立ち上がって人々を破滅から救うミカエル」、これは「御帰って見返って身変えった」近未来の日本と日本人をさす大きな可能性がある、といえないか。」
「ユダヤ深層予言」五島勉著より

だそうである。ついでに、出口王仁三郎によると、

「いま、大本にあらはれし、変性女子はニセモノじゃ、誠の女子があらはれて、やがて尻尾が見えるだろ。女子の身魂を立て直し、根本改造しなくては、誠の道は何時までもひらくによしなし。さればとて此れにまさりし候補者を、物色しても見当たらぬ。時節を待ちていたならば、何れあらはれ来るだろう。美濃か尾張の国の中、まことの女子が知れたなら、もう大本も駄目だろう。前途を見越して尻からげ、一足お先に参りましょ。皆さんあとからゆっくりと、目がさめたなら出てきなよ。盲千人のその中の、一人の目明きが気をつける。ああかむながら、かむながら、かなはんからたまらない、一人お先へ左様なら」
「出口王仁三郎の霊界からの警告」武田崇元著より

念のため、「変性女子」とは魂が女子の男性の事である。その人物は、「身魂を立て直し、根本改造」されるというのである。五島勉氏の「身変える」に通じるものがあるだろう。

「1 主よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。
2 その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。
3 彼は銀をふきわけて清める者のように座して、レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。そして彼らは義をもって、ささげ物を主にささげる。」
「マラキ書」第3章1節~3節(口語訳)

「03:01見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
03:02だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。
03:03彼は精錬する者、銀を清める者として座し
レビの子らを清め
金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を
正しくささげる者となるためである。」
「マラキ書」第3章1節~3節(新共同訳)

おまけ