浦島太郎の物語、そして、かごめ唄から見えてきたこと。
ニギハヤヒ(サナンダ・クマラ)の魂が宿った人物に、封印された女神であるレディ・ヴィーナス・クマラのエネルギーが統合された状態が「弥勒=369」なのではないかということです。
弥勒について説明していきますが情報量が多いため、いくつかの記事に分けたいと思います。
まず、弥勒を説明する時に、出口王仁三郎が残した言葉の「変性女子」が一つキーワードになります。
謎解きの旅が始まって間もない頃、王仁三郎という存在を知りました。
私を導く者たちが王仁三郎の言葉に触れなさいと言っていたのだと思います。
王仁三郎について調べてみると、このような言葉に辿り着きました。
「いま、大本にあらはれし、変性女子はニセモノじゃ、誠の女子があらはれて、やがて尻尾が見えるだろ。」
美濃か尾張に「まことの女子」が現れて救世主となるだろう・・・と、王仁三郎は伝えたようです。
王仁三郎は自分ことを「男子の肉体に女子の霊が宿った変性女子」としました。
要するに、変性女子とは「男性の肉体に女性性の強い魂が宿った人物(この世においては男性)」と言っています。
しかし、これを知った時に私はすぐにこれが「間違い」であることに気づきました。
王仁三郎の残した言葉に出会うしばらく前に、私はとあるヒーラーの男性が発信する記事を読んでいました。
その男性は地球に転生してきたツインソウルたちのヒーリングを行っている方のようです。
ツインソウルたちのヒーリングを重ねるうちに、あることに気がついたそうです。
それはけっこうな割合で「変性カップル」が存在するとのこと。
その方の説明によると、このようになります。
女性性の強い意識体(魂)が、男性の肉体に宿った人を「変性男子」
男性性の強い意識体が、女性の肉体に宿った人を「変性女子」
この情報に違和感がなかったため、それが真実だと感じました。
実は私も今回の人生において、ツインソウルのパートナーと共に転生してきています。
20代で出会い、分離期間を迎え、数十年の時が過ぎました。
もうしばらくすると再会するだろうと感じています。
私は女性として生まれていますが、男性性の強い魂です。
そして、パートナーはその逆。
ですから、私たちも「変性カップル」であり、私は「変性女子」の定義に当てはまります。
王仁三郎が残した「変性女子」の定義に間違いがある・・・
当時、お世話になっていたチャネラーさんを通じて、私を導く高次元の存在たちに確認しました。
「王仁三郎は、変性女子の定義を間違えて伝えているようです。訂正したほうがいいですか?」
書きたければ書いて構わないが、あまり大々的に発信することは勧めない・・・そんな印象の返答でした。
「タイミングはとても重要だ。聖者であっても、機を逃せば、事を成し得ない。」
そんな言葉も同時に受け取ったと記憶しています。
要するに「まだ書くタイミングではない」と伝えていたのでしょう。
今こそ語る時・・・と感じますので、今回記事にしています。
他にもいくつか言葉を受け取りましたが、このやりとりにより、王仁三郎は敢えて「正しくない定義」を残していったのだと理解しました。
説明した通り「変性女子」の定義に当てはまる女性は数多くいると思われます。
しかし、「まことの女子」はもちろん唯一人なのだと感じます。
そして、その「まことの女子」は、ニギハヤヒ(サナンダ・クマラ)が転生してきた女性であると思われます。
「まことの女子」である、ニギハヤヒの魂が宿った女性。
言い換えると、ニギハヤヒ(サナンダ)の強い男性性エネルギーを有する女性。
その女性に、封印された女神であるレディ・ヴィーナス・クマラの女性性エネルギーが加わることで、その女性の中で強い男性性と強い女性性の統合が起こります。
これにより「弥勒の土台」が出来上がります。
そして、次の段階に進んだ時、弥勒(369)が完成します。
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王仁三郎の言葉
「美濃か尾張に、まことの女子が現れて救世主となるだろう」
「美濃尾張」は「身の終わり」
このような説を唱えていらっしゃる方がいます。
これを知った時、「なるほど~」と深い感心とともに、ストンと私の中に入ってきました。
「身の終わり」とは、物質次元(3次元)が終わる時・・・ということなんでしょうね。
要するにアセンションが差し迫った時に、という意味なのでしょう。
5次元に移行すれば私たち人間もエネルギー体になるのでしょうね。
肉体に縛り付けられることがなくなれば、多くの悩み苦しみは消え去ります。