参考資料3114 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

《神々のゲーム》
「神と人類と宇宙の関係をこのように考えると、すべてが理解できてくる。
「すべての人が満足する」というのは非常に難しいことである。そして、「すべての人が絶望する」というのも同様に起こりがたいことである。
 世の中は、満足している人と不満足な人が両方いるから存続している。全員がどちらか一方になればそこで歴史は終わる。
「地球は素晴らしい、人類も素晴らしい」と人類全体が満足すれば光的終末である地上天国の出現で歴史は完了する。一方、「地球は狭くて汚くてつまらない惑星だ。そして、人間は馬鹿と鬼ばかり、どうしようもない。すべてがいやになった。こんな世の中なんてなくなってしまえ」と全人類が絶望すれば、人類と宇宙は闇的終末を迎えて消滅する。
 後者の終わり方も別に悪くはない。そもそも宇宙の掟は善悪を超えている多数決によって決定される。
 神と人類が、「ああ、自分がいやになった。自分の作品も気に入らない。今回は失敗作だ。すべて捨ててしまおう」と思ったら捨ててしまえばよい。粘土細工師が作品が気に入らなかったら、作品をつぶしてもとの素材に戻してしまうように、もう一回やり直せばよいのである。何回でも気に入ったものができるまで繰り返せばよい。他人に評価されるのではない。自分で自分の作品を評価、判定するのである。
 この宇宙が闇的終末を遂げたら、宇宙は消滅し、元の闇に戻る。だが、それで終わりではない。闇とは始まりでもある。この宇宙は無、闇から始まった。
 ただ一つの霊に戻った、かつて人類であった神は、しばらく休み、考えた後、気を取り直して、「さあ。もう一ゲームするか。今度こそ前回の失敗を教訓にしてもう少しましなものを造ろう」「光あれ」こうして次の宇宙が造られてゆく。
 ビッグ・バンから闇へと戻るまでが宇宙であり、一宇宙年、一つのサイクル、ゲームである。この一ゲームの中に一つの宇宙のすべての時空と歴史が含まれている。
 そして、我々の宇宙の隣では、別の神がまた同じ作業に没頭している。数えきれぬ神が闇の中でそれぞれの作品を造り、修行しているのである。これこそ超宇宙である。
 その中で、満足できる作品を完成できた神だけが作業をやめられるのである。他者に作品を評価されるのではない、自分で自分を評価するのである。
 神にこの輪廻をやめさせられるのは人間しかいない。神も宇宙の創成と消滅という輪廻を繰り返している。人間は完全にめざめれば輪廻から解脱できる。同様に全人類がめざめて満足すれば、神、宇宙も輪廻から解脱できる。この宇宙からブラック・ホールが消滅し、宇宙は永続できる。いったい、この宇宙は何回目の宇宙なんだろうか。我々は何回輪廻転生してきたのだろうか。神と人間はいつまでこのゲームを続けるのだろうか。」
「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言(下)」浅利幸彦著より

感想
>「地球は素晴らしい、人類も素晴らしい」と人類全体が満足すれば光的終末である地上天国の出現で歴史は完了する。一方、「地球は狭くて汚くてつまらない惑星だ。そして、人間は馬鹿と鬼ばかり、どうしようもない。すべてがいやになった。こんな世の中なんてなくなってしまえ」と全人類が絶望すれば、人類と宇宙は闇的終末を迎えて消滅する。

3巻94番の詩
De cinq cens ans plus compte l'on tiendra
Celuy qu'estoit l'ornement de son temps:
Puis a un coup grande clarte donrra
Que par ce siecle les rendra tres contens.
500年より多く数えてからその人々は保つだろう
彼の時代の名誉(装飾)であったその人を
それから一度に崇高な光が引き起こすだろう
なんとこれによって時代は彼らをとても満足したものにするだろう
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10394805275.html

以前にも述べたが、「イエスの再臨」の予言と解釈している。

1巻48番の詩
Vingt ans du regne de la lune passés
Sept mil ans autre tiendra sa monarchie:
Quand le soleil prendra ses iours lassés
Lors accomplir & mine ma prophetie.
月の君臨の20年が過ぎ去った
七千年、別の者がその王政を保つだろう
太陽がうんざりさせられる日々を受け入れる(理解する)だろう時
その時(彼は)私の予言を実現させ終わらせる。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12781914265.html

「イエスの再臨」には、どうやら日本人が大事な役割を果たすようである。ただし、2行目の「別の者」はイエスではない。

10巻42番の詩
天使のような子供の人間的統治が、
その王国に平和と統一を保たせるだろう。
戦争が終結の道半ばに置かれる
長い間、平和が彼らを維持させるだろう。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12810364495.html

2巻13番の詩
Le corps sans ame plus n'estre en sacrifice,
Jour de la mort mise en nativite:
L'esprit divin fera l'ame felice,
Voyant le verbe en son eternite.
感情のない身体はもはや犠牲とはならない
(キリストの)降誕において置かれる滅亡の日
崇高な精神は心を至福にするだろう
予言者、彼の永遠への言語表現   (20年以上前の訳)

訳の解説
「corps sans âme」は、慣用句で「魂の抜けた人、ふぬけ、指揮官(指導者)を失った軍隊(党)」なので、「魂のない肉体」というような死体的なイメージより現実的な表現を選んだ。「nativite」(〔キリストの〕降誕、〔聖母マリア、洗者ヨハネの〕誕生、キリスト降誕図(像))降誕(誕生)に「naissance」(誕生、出現)ではなく、「nativite」を使ったのは、キリストの降誕を表したかったとしか考えられない。

2巻13番の詩
Le corps sans ame plus n'estre en sacrifice:
Iour de la mort mis en natiuité:
L'esprit diuin fera l'ame felice,
Voiant le verbe en son eternité.
魂の抜けた人はもはや犠牲にはならない
[キリストの]降誕の上に置かれる崩壊の日
崇高な精神(神への御霊)は心を至福にさせるだろう
予言者、彼の永遠への言語表現(または、「その永遠へのみ言葉を理解している」)
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12816869672.html

「1 また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
2 この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
3 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。
4 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。
5 女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。」
「ヨハネの黙示録」第12章1節~5節(口語訳)

「11 またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
13 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
14 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
15 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
16 その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。」
「ヨハネの黙示録」第19章11節~16節(口語訳)

ただし、「ヨハネの黙示録」は旧約聖書からの寄せ集めの創作物(偽書)だと考えている。ここでも、「ほふられた小羊」(真理の御霊)とその息子のメシアがごっちゃになっている。

「132:10 あなたのしもべダビデのために、あなたの油そそがれた者の顔を、しりぞけないでください。
132:11 主はまことをもってダビデに誓われたので、それにそむくことはない。すなわち言われた、「わたしはあなたの身から出た子のひとりを、あなたの位につかせる。
132:12 もしあなたの子らがわたしの教える契約と、あかしとを守るならば、その子らもまた、とこしえにあなたの位に座するであろう」。」
「詩篇」第132篇10節~12節(口語訳)

念のため、「わがしもべダビデ」は未来に現れる「真理の御霊」(契約の使者)の事である。

おまけ