参考資料3113 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

《すべてが良い太陽、そして月》 その2
「そして、その語の象徴的意味を探るなら、日常的なイメージに頼るよりも、まず、聖書を調べるべきである。諸世紀と聖書は象徴的意味が統一して書かれており、諸世紀に出てくる語の象徴的意味の答えは聖書にのっているのである。
 そして、聖書および諸世紀などのヘブライ系予言を一貫して流れている思想は「光と闇の闘争」「キリストと反キリストの戦い」なのである。
 従って、太陽と月、とは、光と闇、天使的人間と悪魔的人間を象徴していると考えるべきである。なぜなら太陽は昼を支配し、月は夜を支配するものだからだ。
 それに、五島氏は訳の中に自分の解釈を混入させてしまっている。原文を知らない読者に、「お、ノストラダムスは日本を知っていて、日本の未来まで透視していたのか」と誤解させてしまう。
 各語をどう解釈するのかは研究家の自由だが、訳はなるべく原文のまま素直に訳し、解釈、解説はその後ですべきである。
 そして、一行めであるが、Soleil(太陽)とLune(月)の間には”&”がある。&は、太陽と月を、ただ並べているだけではなく、この行全体を、二つに分けていると考えるべきだ。
 つまり、「すべてが良い、すべてが正しい太陽と月」ではなく、「すべてが良い、すべてが正しい太陽、そして、(そうではない)月」という意味で、「すべてが良い、すべてが正しい」は、太陽だけにかかっていて、月はそうではないことをあらわしていると考えるのである。すなわち、太陽(→光の子、天使)はすべてが良く、正しく、善で、恩恵を与えるものだが、月(→闇の子→悪魔)はすべてが悪く、偽りで、害を与えるものだ、といいたいのである。
 そして、二行めの、Estには、東、と、~である、という同綴異義語があり、これが一行めの終わりにある”月”にかかっていると考えると、「東(未来)から来る月(悪魔)は大量で、その荒らす憎むべき者が近づいてくる」とも解釈できるし、「その多数者の崩壊も近づく」(悪魔支配の終焉も近いだろう)とも解釈できる。
 そして、三行めだが、advanceは、advenir(起こる)、adulateur(へつらう人、追従者)、adultère(姦通者、冒瀆者)、adventice(外来の、二次発生的な)、adventiste(キリスト再臨論者)などの合成語と考えられる。
 vanerは、vandale(5世紀にゴールを荒らした古代ゲルマン民族のバンダル人、破壊者)、vaniteux(傲慢な)、vanne(うそ)、vanner(穀物を選り分ける)などの語と関係しているようだ。
 そうすると、三行めは、「天(神)は、傲慢でうそつきの地球外から来た破壊者、姦通者の追従者から、キリストの再臨を信じる者達を選り分け、その運命を、二次発生的に(本来のそれとは違った形に)変えて、幸運なものとする」というような意味が込められているのではないか。
 そして、四行めだが、”七つの丘”というと七つの丘に囲まれた町であるローマをさすと考えられる。mesmeは、messianisme(メシアニズム、メシア信仰)の略と考えると、「七つの丘(ローマ→元史、前史の滅びゆく地球)にメシア信仰を導入する」と解釈される。
 あるいは、roch(岩、巌)は神を象徴する言葉だから、「メシア信者を第七千年紀に神のもと、天使王国へと連れていく」とも「メシアニズム(天使の人類救済計画)により、第七千年紀に神の王国、地上天国が出現する」とも解釈できる。
 このように、この詩は、太陽と月の定義、光の子と闇の子の闘争、悪魔軍団の地球侵略と悪魔支配の終焉、義人の選別と携挙(ラプチャー)、そして、地上天国の出現というような元史から前史、今史を経て来史に至るまでの、すべての歴史を述べ、さらにそれらを超えてすべてを総括している神の計画を述べているのである。
 予言の作者(天使)はこれらのすべての意味を込め、慎重に言葉と綴りを選んで詩を作成したのである。
 とにかく、諸世紀の一つ一つの詩には膨大な量の情報が込められている。これらの情報が濃縮、凝縮されていて、しかも文学的形態を保ち、芸術性と簡潔美を誇っているのである。
 これが十六世紀の地球人にできる業だろうか。
 あなたは、これでもまだ、諸世紀は十六世紀に存命した単なる一人の地球人の透視者の作品である、といえるだろうか。」
「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言(下)」浅利幸彦著より

感想
>各語をどう解釈するのかは研究家の自由だが、訳はなるべく原文のまま素直に訳し、解釈、解説はその後ですべきである。
 そして、一行めであるが、Soleil(太陽)とLune(月)の間には”&”がある。&は、太陽と月を、ただ並べているだけではなく、この行全体を、二つに分けていると考えるべきだ。
 つまり、「すべてが良い、すべてが正しい太陽と月」ではなく、「すべてが良い、すべてが正しい太陽、そして、(そうではない)月」という意味で、「すべてが良い、すべてが正しい」は、太陽だけにかかっていて、月はそうではないことをあらわしていると考えるのである。すなわち、太陽(→光の子、天使)はすべてが良く、正しく、善で、恩恵を与えるものだが、月(→闇の子→悪魔)はすべてが悪く、偽りで、害を与えるものだ、といいたいのである。

一行目の原文は「Ou tout bon est, tout bien Soleil & lune,」で、浅利氏の説なら「Ou tout bon est, tout bien Soleil ,& lune」と「&」の前にカンマを入れるべきだろう。その前に、従来の解釈者は「すべてが良い、すべてが正しい太陽と月」と訳しているが、「est」を「être」の現在形として訳している。予言なのだから未来形になっているべきだろう。つまり、これは「être」の現在形ではなく「est」(東方)なのである。ただし、ノストラダムスの大事典の訳「全てが良好にして順調で、太陽と月が豊かにある場所」だけは文法的におかしくない。厳密に調べた訳ではないが、私の昔の英語の記憶では「地球は回っている」というような事実は時制に関係なく現在形を使ったような気がするからである。ただし、「太陽と月が豊かにある場所」なんてどこでも当てはまるおかしな表現はしないと思うので、私の訳が正しいと思っているが。

>そして、二行めの、Estには、東、と、~である、という同綴異義語があり、これが一行めの終わりにある”月”にかかっていると考えると、「東(未来)から来る月(悪魔)は大量で、その荒らす憎むべき者が近づいてくる」とも解釈できるし、「その多数者の崩壊も近づく」(悪魔支配の終焉も近いだろう)とも解釈できる。

一応、私の訳を挙げておこう。

5巻32番の詩
全くもって良い太陽と月、すなわち全くもって良い東方
豊かな東方よ、その崩壊が近づく
天からの進展がお前の運命に変化をつける
7番目の山と同じ立場に
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12836538877.html

念のため、「太陽」は日本人で「月」は「真理の御霊」(契約の使者)と解釈している。3行目の「お前」もダブルミーニングで「日本人」と「契約の使者」への呼びかけだと考えている。少なくとも、「終わりの時」の直前までは日本の未来は明るいのだろう。

「29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
30 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」
「マタイによる福音書」第24章29節~30節(口語訳)

念のため、「天からの進展」は「小惑星の衝突」と考えている。まぁ、小さい進展も「天からの」と解釈しているが。

>そして、三行めだが、advanceは、advenir(起こる)、adulateur(へつらう人、追従者)、adultère(姦通者、冒瀆者)、adventice(外来の、二次発生的な)、adventiste(キリスト再臨論者)などの合成語と考えられる。
 vanerは、vandale(5世紀にゴールを荒らした古代ゲルマン民族のバンダル人、破壊者)、vaniteux(傲慢な)、vanne(うそ)、vanner(穀物を選り分ける)などの語と関係しているようだ。
 そうすると、三行めは、「天(神)は、傲慢でうそつきの地球外から来た破壊者、姦通者の追従者から、キリストの再臨を信じる者達を選り分け、その運命を、二次発生的に(本来のそれとは違った形に)変えて、幸運なものとする」というような意味が込められているのではないか。

adventiste(キリスト再臨論者)」から「advent」を連想した。そこで、9巻44番の詩。

詩百篇第9巻44番
Migres migre de Genesue trestous,
Saturne d'or en fer se changera,
Le contre RAYPOZ exterminera tous,
Auant l'a ruent le ciel signes fera.
離れよ、一人残らずジュネーヴから離れよ。
黄金のサトゥルヌスは鉄に変わるだろう。
レポの反対が全てを滅ぼすだろう。
到来の前に、天が徴を示すだろう。
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/38.html

因みに、4行目の「l'a ruent」の所が「l'advent」(l'は定冠詞の短縮形)である。

「4行目の l'a ruent はフランス語として意味をなさない。ruent は ruer(投げる)の活用形と見ることも出来るが、直前に a を取るのは構文としてあり得ないためである。l'aruent としても、そのような単語は古語辞典の類にも見当たらない。
 後の版に登場する l'advent(l'avent)は「(一般的な)到来」または「待降節」などの意味で、すんなりと理解することができる。正当性に疑問もないではないが、この異文はピーター・ラメジャラー、ジャン=ポール・クレベールも支持している。」
(引用元は上と同じ。)

個人的には、「小惑星の出現」とその後の「イエスの再臨」のダブルミーニングと考えている。
また、「レポの反対」を「反キリスト」と解釈すると全ての辻褄が合う。つまり、「黄金のサトゥルヌス」は豹変する前の反キリストの事である。
また、「レポの反対」の原文は「Le contre RAYPOZ」で「contre」(反対)で「RAYPOZ」だが、「RAY」(rayonの略)+「POZ」(positionの略)として、「光」+「位置,[特に高い]地位」とすると、「イエス・キリスト」である。
つまり、「反キリスト」と解釈出来る。

補足
「4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
6 ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。
7 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。
8 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。
9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」
「ヨハネによる福音書」第1章4節~9節(口語訳)

イエス・キリストは「光」なのである。

>そして、四行めだが、”七つの丘”というと七つの丘に囲まれた町であるローマをさすと考えられる。mesmeは、messianisme(メシアニズム、メシア信仰)の略と考えると、「七つの丘(ローマ→元史、前史の滅びゆく地球)にメシア信仰を導入する」と解釈される。
 あるいは、roch(岩、巌)は神を象徴する言葉だから、「メシア信者を第七千年紀に神のもと、天使王国へと連れていく」とも「メシアニズム(天使の人類救済計画)により、第七千年紀に神の王国、地上天国が出現する」とも解釈できる。

私も先週、「roch(岩、巌)は神を象徴する言葉」と「岩はペテロのあだ名」と思ったが、省略した。

「17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
19 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。」
「マタイによる福音書」第16章17節~19節(口語訳)

百詩篇第5巻32番
全てが良好にして順調で、太陽と月が
豊かにある場所。その破滅が近づいている。
空から急いで変えにやってくる、汝の財産を
七番目の巌と同じ状態に。
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/590.html

「真理の御霊」(契約の使者)の上に教会が建てられるという意味かもしれない。

>とにかく、諸世紀の一つ一つの詩には膨大な量の情報が込められている。これらの情報が濃縮、凝縮されていて、しかも文学的形態を保ち、芸術性と簡潔美を誇っているのである。
 これが十六世紀の地球人にできる業だろうか。
 あなたは、これでもまだ、諸世紀は十六世紀に存命した単なる一人の地球人の透視者の作品である、といえるだろうか。

信じる信じないはあなた次第です。

「しかしそのような予言は、永遠不変の至高の支配力であった聖霊の口から生じました。天上と共に結合された(支配力)。その多数の中のある人達が重大で驚嘆すべき出来事を予言しました。その場所での私、私はそのような称号を全く我が物としません。とんでもない、私は全ては神から来るという事をきちんと告白します。そして(私は)彼に神の恩恵、名誉、そして不滅の功績を返します。」 
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10637020959.html

「34.しかしながら、そうした預言は至高にして永遠の力である聖霊の口から発せられたものでしたし、その力が、天と、その大事件や驚嘆すべき事件を予言した幾人かとを結び付けたのです。
35.私はといえば、この状況では何一つとして称号を自分のものとしたいとは思いません。(そのようなことは)神が到底お喜びにならないのです。私ははっきりと全てが神に由来することを告白しますし、神に感謝、尊敬、不滅の称賛を捧げます。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2650.html

おまけ