参考資料2047 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

伝道の書 その10
「1 良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる。
2 悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。
3 悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。
4 賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。
5 賢い者の戒めを聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。
6 愚かな者の笑いはかまの下に燃えるいばらの音のようである。これもまた空である。
7 たしかに、しえたげは賢い人を愚かにし、まいないは人の心をそこなう。
8 事の終りはその初めよりも良い。耐え忍ぶ心は、おごり高ぶる心にまさる。
9 気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである。
10 「昔が今よりもよかったのはなぜか」と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。
11 知恵に財産が伴うのは良い。それは日を見る者どもに益がある。
12 知恵が身を守るのは、金銭が身を守るようである。しかし、知恵はこれを持つ者に生命を保たせる。これが知識のすぐれた所である。
13 神のみわざを考えみよ。神の曲げられたものを、だれがまっすぐにすることができるか。
14 順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。」
旧約聖書「伝道の書」第7章1節~14節

感想
>2 悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。
3 悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。

暗い奴だな。因みに、私も十代の頃はそういう奴だったかもしれない。若いね。

>4 賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。
5 賢い者の戒めを聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。

一応、新共同訳では、

「07:04賢者の心は弔いの家に
愚者の心は快楽の家に。
07:05賢者の叱責を聞くのは
愚者の賛美を聞くのにまさる。」

「楽しみ」と「快楽」では解釈が全く違ってくるね。個人的には、みんな楽しくがモットーだが。また、「愚かな者の歌」と「愚者の賛美」の所もよく分からない。後者は、愚者を賛美する事なのか愚者が賛美する事なのか。どちらにしても、当たり前過ぎてつまらない話である。「愚かな者の歌」とは、もっともらしい事を歌う偽善者の事かもしれない。

>6 愚かな者の笑いはかまの下に燃えるいばらの音のようである。これもまた空である。

因みに、第2章では「笑い」は「狂気」と述べていたと思ったが。

「2 わたしは笑いについて言った、「これは狂気である」と。」
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12435388717.html

>7 たしかに、しえたげは賢い人を愚かにし、まいないは人の心をそこなう。

一応、新共同訳でも、

「07:07賢者さえも、虐げられれば狂い
賄賂をもらえば理性を失う。」

本当の賢者ならならないだろう。つまり、義人という事。

「3 賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。」
「ダニエル書」第12章3節

>8 事の終りはその初めよりも良い。耐え忍ぶ心は、おごり高ぶる心にまさる。

物事や状況によるだろう。「終わりの時」が来て、千年王国が出来れば選民には良いが、地獄行きになる人には良くないだろう。一応、新共同訳では、

「07:08事の終りは始めにまさる。気位が高いよりも気が長いのがよい。」

おっとりした人の方が神は好きなのかもしれない。ただし、忍耐強い人の方かも知れない。

「7 ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
8 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
13 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。」
「ヨハネの黙示録」第3章7節~13節

13節の「御霊」は「真理の御霊」(契約の使者)と解釈している。(シンクロニシティーとして。)

「13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる
14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。」
「マタイによる福音書」第24章13節~14節

「10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。」
「ヨハネの黙示録」第13章10節

>9 気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである。

ただし、「聖なる怒り」だけは別物である。

「3:4 人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。
3:5 イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。」
「マルコによる福音書」第3章4節~5節

「終わりの時」に現われる「真理の御霊」(契約の使者)は「裁く人」らしいので、「聖なる怒り」を発揮する可能性もあるが、裁判官は怒らないものだろう。

>10 「昔が今よりもよかったのはなぜか」と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。

不満から出るのだろう。それより、(自分の)未来を良くする事を考える方が建設的だろう。

>14 順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。

一応、新共同訳では、

「07:14順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ
人が未来について無知であるようにと
神はこの両者を併せ造られた、と。」

「彼とこれ」って「順境と逆境」っていう事? 因みに、「真理の御霊」(契約の使者)は予言者らしい。

「16:13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」
「ヨハネによる福音書」第16章13節

「52:15 彼は多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつぐむ。それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。」
「イザヤ書」第52章15節

おまけ